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市川にこうご期待

Column
市政の最新情報から、市長が日々感じていることまで、幅広いテーマでお届けします。市民の皆さま、どうぞご期待ください。
市川にこうご期待

恒久平和を願って

令和7年8月16日号

 戦後80年の節目の年を皆様はどのように受け止め、お過ごしになられたでしょうか
 私は5月26日に行われた千鳥ヶ淵の戦没者墓苑拝礼式に続いて、7月5日には靖国神社で斎行された大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭に参列いたしました。同じく、7月中旬、鹿児島に公務で出向いた際、「知覧特攻平和会館」に寄らせていただき、特攻の任務にあたった17歳から30歳半ばの隊員たちの心の叫びを受け止めてまいりました。彼らは日本に平和が訪れることを願って出撃したに違いありません。その思いをしっかりと受け止め、二度と戦争という惨禍が起こることのない平和な社会を続けていく約束をしてまいりました。
 今、私は長崎で原稿を書いています。
 長崎では「平和首長会議」が行われ、原爆投下中心地での献花に参列いたします。
 一方で、広島には市川市の中学生16人が派遣され、8月6日の「被爆80年、広島平和記念式典」に参列しました。そして、「広島平和記念資料館」も視察し、報告に来てくれることになっています。
 この原稿を皆さんに読んでいただく前日の15日、私は武道館で行われる全国戦没者追悼式に参列いたします。市川市はそれに先立って14日より2日間、市川市役所の1階に献花台を設けて、遺族会の皆さんと一緒に追悼式を行う予定です。
 このように私は様々な場所に出かけ、世界の紛争が一日も早く収束して平和が訪れることを願いつつ、心から哀悼の誠を捧げています。

暑中お見舞い

令和7年8月2日号

 「ホヒノカミ ホノアカルタマノカミ ホムスビノカミ」と唱え、自ら火打石で切り火を行って、一日の仕事に出かけるのが私の朝のルーティーンとなっています。その思いは今日も一日市川市で大きな災害が起こらないことを、また自分自身も安全に仕事ができることを願ってのことです。
 さて、本日(8月2日)は市川市で市川市民納涼花火大会が行われる予定となっていますが、そもそも現在の花火大会は、8代将軍徳川吉宗が、飢饉と疫病の犠牲者を慰霊するために、隅田川で水神祭を執り行い打ち上げ花火を上げたのが起源とされています。まさに、市川の空に大きな切り火としての花火を上げて、市川市の邪気を払い、市民の健康と平和を願う行事だと受け止めることができるのではないでしょうか コロナが明けて間もない2023年の花火大会の時には、まさにそのような思いでご挨拶したことを記憶しています。
 また、今年の花火は富士山をかたどった仕掛け花火の高さを世界記録に挑戦しようというイベントがあります。いわゆるギネスに挑戦ということですが、成功させ市川市民納涼花火大会の目玉にしたいと思っているのです。市民の皆さんにも是非応援していただきたいと思います。
 まだまだ暑い日が続きますが、今年の後半の5ヶ月間が皆さんにとりまして、充実した素晴らしい時間になりますように心からご祈念申し上げ、暑中のご挨拶といたします。

あれから40年

令和7年7月19日号

 「あれから40年」のフレーズでお馴染みの綾小路きみまろさんが市川市文化会館に来たのは先月末30日のことでした。CDで聞いたこのフレーズをぜひ一度生で見たいと以前より思っていた私は、早い段階でチケットを購入し、何ヶ月もの間楽しみにしていたのです。
 会場のお客さんが大笑いをしている時のきみまろさん自身はどういう動きをしているのか。 その動きもきっと巧妙な描写で会場を盛り上げているに違いないと思ったからです。「あなたも、あなたも、みんな若かったのです」「あれから40年」お決まりのフレーズから客席のお客さんとのやり取りの中、会場を一つにまとめる話術は私自身も笑いながら大変に勉強になりました。
 さて、あなたの40年前はどのような出来事があったのでしょうか。
 ちなみに私の40年前は28歳、以前にもお話したことがあったと思いますが、日本橋から大阪までの753キロメートルを徒歩で歩き、政治家になろうと決意を固めた、そんなときでした。あれから40年、色々な政治経験をしてきましたが、今、市川市を市民の皆さんが誇れる街にするために、懸案事項や先送りされた建替え事業などに全力で取り組んでいる日々です。政治が今大きく変わろうとしています。しかしその基本は、「市民の、市民による、市民のための政治」ということではないでしょうか。そして、市民生活に最も近い地方行政が、例えば物価高騰対策として地域でできる対策(デジタル地域通貨 ICHICO)を行ったり、国に先んじて給食の無償化を行ったり、できることをすぐに行う等、40年前の決意を実行していきたいと思っています。

国府サミット

令和7年7月5日号

 先日、市川市の国分にある下総国分寺の吉澤住職にお会いしてきました。ご住職は国分寺の第64代になられるそうで、まさに奈良時代から続くお寺の伝統を引き継いでおられ、実に、曾祖父の代から4代に繋がっているそうです。
 そもそも国分寺や国分尼寺は、国府が置かれた場所の近くに建立されており、市川市においても下総国府を国分寺の七重の塔が見守る形になっています。また、ご住職の話では、七重の塔は当時富津の海からも見ることができたと伝えられているそうです。
 ご住職には、私が市長になってからいろいろなことでお世話になっているお礼と本年10月18日に予定されている「国府サミット」のご報告にうかがいました。国分寺は、聖武天皇がより多くの地域を治めていくために68ヶ所に作り、それぞれの地域の発展を願ったものだったのです。ご承知の通り、市川市には下総国府がおかれ、北は茨城・栃木県の一部まで、西は武蔵国府の国境までという広大な地域を治める指折りの国府でした。両国の地名はそういう場所のことだったのですね。
 本年、第6回の国府サミットを市川市が主催し、国府の地に選ばれていた地域の市長さんをはじめ、多くの関係者に集まっていただきたいと思っています。下総国府跡地周辺の様子がわかるⅤRゴーグルを設置する予定です。ぜひ、市民の皆さんにも市川市文化会館で行う国府サミットに足を運んでいただければ嬉しく思います。もちろん、国分寺のご住職にもお声がけをいたします。

自然との共生(三番瀬)

令和7年6月21日号

 1955年、56年と、市川市は行徳町・南行徳町と合併し、海を持つ街になりました。しかし、その自然豊かな三番瀬の海は、埋め立てにより土地として利用するという自然を破壊する計画が継続し、環境団体等の強い反対を受け、2001年に市川二期地区埋立計画は白紙撤回されることとなりました。その後は、話し合いの場がもたれるものの膠着状態が続き、三番瀬は垂直岸壁に囲まれ、護岸付近の水深が深くなるなど、傷ついた自然の状態が長く続いてしまったのです。市長に就任した私は、三番瀬に最小限の手を加えて自然環境を再生する考えを皆さんにお話ししました。そして、間違っても再度埋立計画を立てるなど自然破壊をすることには大反対とも言ってきました。残された自然を大切にし、市民・県民の方々が親しめる環境を取り戻したいと思っています。そしてこの考え方は現在の地元漁業協同組合やNPO環境団体、また千葉県の考え方と歩調を合わせるものであり、市川市議会の賛同も得ています。
 今月9日より浅瀬を取り戻す覆砂事業が始まりました。自然は大切にしてあげれば、信じられないほどの復元能力を持っています。
 市民の皆さんと一緒に、この場所にアマモを植えるなどして魚介類のゆりかごを再生し、市川市の海「三番瀬」を取り戻したいと思っているのです。

化石燃料からクリーンエネルギーへ

令和7年6月7日号

 5月9日、カーボンニュートラル推進課に一通のメールが届きました。
 そのメールは環境省からで、第6回の脱炭素先行地域の選考で選ばれた旨が伝えられたのでした。
 以前より、CO2の発生源を最小限にとどめるために市川市も努力したいと考えている中、第5回の選考から挑戦し、2回目にして快挙といえる決定を受けた背景には、高浜課長の存在なくしては実現できなかったといえるでしょう。
 私が休日に所用で市役所に来ると、いつも机に向かい仕事をしている姿をみてきました。それが今回の結果を生み出したと思っています。
 さて、この脱炭素先行地域は、市川市の妙典地域を中心に賃貸物件も含めビル化された街におけるCO2削減というかなり難しいテーマで、補助金を活用して太陽光パネルを最大限設置し、循環型社会のモデルケースへの挑戦だったのです。ここではいくつかの課題をクリアしなければなりません。
 まず、最初に考えるべきことは、将来太陽光パネルが廃棄されたときに、確実に処理をして再生するという仕組みを作り上げること。このことを考えずして、太陽光パネル設置を多用化することはあってはなりません。次に、地権者またはビルのオーナーに協力していただくための説明が必要です。簡単にいうと、屋上の空きスペースが土地という発想を持って、太陽光パネルを設置していくというイメージをしてもらえればいいのだと思います。
 市川市が提案したその内容に対し、環境省は上限で50億円の補助金を拠出するという話ですが、市川市は最大限活用し、国の期待に応えてまいります。脱炭素先行地域選定証授与式は5月29日に有楽町朝日ホールで行われました。その時の内容は次の広報紙面で詳しくお伝えいたします。
 千葉県では千葉市、匝瑳市に続く3番目に市川市が選定されました。未来に向けてクリーンエネルギーの扉を開いていきたいと考えています。

〈 百年の計は教育にあり 〉

令和7年5月17日号

 尊敬する岡山市の大森市長を訪ね、ご挨拶させていただいたところ、市長室に「樹人」と書かれた色紙が飾られていました。その意味は、中国の管子の書かれた「国家百年の計」の中から、「終身の計は人を樹うるに如くは莫し」いかに、人を育てることが大切なことかということが語られているものです。
 市川市においても、未来を託す子どもたちにどのような社会環境・教育環境を創り上げて行くことがどれほど大切かということに他なりません。
 私は毎週水曜日に教育長と市川市の教育に関わる様々な問題を話し合うようにしています。
4月から教育長になられた高木さんは、文部科学省の現役課長から市川市の教育長として着任された方で、まだ52歳の将来有望な人材です。高木教育長は市川市の課題として、先ず、誰1人取り残さない教育環境を作り上げ、そして中学卒業までに知・徳・体の基盤作りを行い、常に「いじめ」を許さない体制の整備を進めるという3つの課題を掲げ、市川市内の小学校38校、中学校15校、義務教育学校1校、特別支援学校1校2校舎の運営を考えてくれています。
 さらに家庭も地域も、そして社会全体が一体となって子どもたちを見守っていく市川市の姿を目指しています。また教育長と私が話し合う中で、新たに、学びの多様化学校の設置や英語教育の推進などを考えているところです。
 直近の課題としては、2023年から給食費の無償化をしましたが、現在の物価高騰の中で量や質の充実を図り、小中学生の運動能力の維持向上に繋げなければならないという問題がありますが、これに対しては速やかに対応してまいりたいと思います。
 大森市長は帰りがけに備前焼の一輪挿しをお土産にくださいました。様々な花が咲き誇るのはとても嬉しいことですが、しかしそれは同時に一輪の花を大切にしなければならないということだと思うのです。

〈 勇気を出してもう一度 〉その3

令和7年5月3日号

 政治活動から離れても国内の問題に関心を持ち続けた私は、茨城県神栖市で起こった地下水汚染問題の現地視察や住民説明会に参加し、行政と住民の緊迫した状況を目の当たりにしたのです・・・その帰り道の話。
 鹿島バスターミナルから東京に向かう長距離バスは思いのほか利用される方が多く、奥から2席目の通路側に腰掛けることができホッとしたのですが、その後も乗車される方が続き、補助席を使うほどの状態となり、なんと私の隣りの補助席には小柄な尼僧が座ることになりました。そこで私は「席を変わりましょう、どうぞ!」と声をかけ、大変喜んでもらうことができたのです。尼僧はにこやかに「どのような用事でいらしたのですか?」と私に問いかけ、それをきっかけに延々と、私の政治活動の話や国会での様々な出来事、そして今、いろいろなことを考えながら浪人していることなどを打ち明けたのですが、不思議なほど全てを受け容れて聞いてくださったのです。
 後にその方が、全国を行脚して様々な人の悩みや苦しみを解決するための御修行をされていた尼僧 小林良正(りょうしょう)さんであることを知ったのは最近になってのことです。小林さんが20年かけて全国を周り終えたことをネットの書き込みで知ることができました。新宿でバスを降りるときには、長年の知り合いと別れるような…そしてまたすぐに会うことができるような…そんな気持ちで挨拶を交わし、晴れ晴れとした気持ちで帰路についたのです。犬も歩けば棒に当たると言いますが、まさにあの時、神栖への行動はそれによって新しい出会いを得ることができた貴重な経験となりました。そして、バスを降りる前に尼僧が私に手渡してくれたのがこの葉書です。どんな時にもあきらめない!どんなに辛くとも自分を信じる!だから、「勇気を出して、もう一度」その時からこの言葉は私の宝物となったのです。

〈 勇気を出してもう一度 〉 その2

令和7年4月19日号

 茨城県の神栖市において、地下水に含まれる有機ヒ素化合物によって健康被害が発生している問題を説明する会場でハプニングが起きたのは22年前のことです。「そのカバンの中には爆弾が入っている」と大声を上げた男性は私のすぐ目の前にいて、国や関係機関が住民に大きな被害を与えている問題に対して、原因究明のための調査に長い時間がかかるという説明に業を煮やし、明確な説明と責任の取り方を明らかにするべきだと迫ったのですが、稚拙な脅し行為でしかなく、司会者の凛とした対応で会場の緊張感は取り除かれ、事なきを得て、会議が始められることとなったのでした。
 そして、この会議によって[1]汚染が確認された井戸水の使用禁止 [2]汚染地域では早急に水道の整備を進める [3]影響を受けた住民の健康診断や医療支援 [4]土壌改良と原因の究明が会議で約束されたのです。
 確かに国民の健康被害に対して、古くは熊本の水俣病患者訴訟問題やHIV感染問題、さらに原爆被害者に付与される手帳の交付問題も、厚生労働省は因果関係が明確になっていないという理由から、長い時間保留にしているケースが問題として指摘されてきた事実があります。神栖市においても有機ヒ素化合物が検出された事実が早急に明かされ、住民の安心した生活を取り戻すようにしなければなりません。その後、深さ約2メートルの地点から巨大なコンクリートの塊が発見され、その塊の中には大量のDPAA (ジフェニルアルシン酸)が検出されたのです。この薬品は旧日本軍の毒ガス弾に使われていたものと見られ、「DPAAに係る健康影響等についての臨床検討会」が続けられています。
 帰りは鹿島のバスターミナルから東京へ向かう長距離バスを利用したのですが、なんと!このバスの中で私の運命を変える出来事が起こったのです。
(続)

〈 勇気を出してもう一度 〉その1

令和7年4月5日号

 2003年の11月に7回目の選挙で初めて落選し、まるで地面に身体をたたきつけられた後に息ができなくなるような状態が続いていたことを今でも思い出すことがあります。そしてまた、地方議会から国政3期の都合16年7か月の習慣は急には変わることがなく、すでに議員でもないのに国内の問題に関わろうとするのです。特に、環境問題や命に関わることに敏感であった私は、当時茨城県の神栖町で地下水から有機ヒ素化合物が検出されたというニュースに関心を持ち、早速現場に足を運んで街の中を見て歩くこととしたのでした。
 神栖町は砂利の露天掘り(表面から直接採取する掘り方)ができる地域もあり、そのため地表から見えない地下水が川のように流れており、その中に発がん性物質のヒ素が検出されたという問題が公表されたのです。
 場所によっては、1リットル当たり通常の450倍にあたるヒ素が検出され、これに対して国や県が地下水汚染対策本部等を立ち上げたのですが、なかなか責任の所在が明確にならないということが、ここでも起きていました。
 この地域の住宅は、台所でもお風呂でも地下水をふんだんに使うことができて水道代がかからないという触れ込みの地域でしたから、発がん性物質が含まれている水を使うとなればその被害が甚大になることは火を見るよりも明らかでした。私が視察に入った場所では、分譲された建売住宅で地下水を利用し、軒並みがん患者が続出しているという生の声を確認していました。
 その日行われた市民会館での集会では、環境省・県・地方自治体が住民に説明を行っていましたが、因果関係が明確にならないという説明に住民の不満が噴出し、役所の人が座っている舞台に出席者から黒い鞄が投げ入れられ「その中には爆弾が入っている!」との大声に会場が大騒ぎになったのです。
(続)

痛みを知る

令和7年3月15日号

 あなたの街の近くに斎場や墓地が隣接していたら…あなたはどのように思うでしょうか?
私は今議会の合間に時間をとって、大町の市民の皆さんと地域の問題を語る会合を開いていました。
 その内容は、市川市の斎場を建て替えるにあたり、地域の住民の皆さんの声をしっかりと聞き、街の価値をこれ以上下げることがないようにするにはどのようなことに配慮しなければならないか、ということを話し合っていたのです。
 日本の高齢者人口(65歳以上)のピークは2043年と想定されていて、その人口は約4000万人となります。
 また75歳以上の方は30年後の2055年には人口の約25%に達するという統計が出ています。ということは、市民の多くの方々が家族のために斎場を利用しなければならないという現実が横たわっているということに他なりません。
 市川市の斎場は昭和55年に建設され45年が経過し、施設の老朽化に対応しなければならないのですが、大町地区には毎日のように霊柩車が通り、今日も走り続けています。住民の声を聞くと、胸が詰まる思いです。市川市の北部は自然が豊かな街でしたが斎場の建設によって忌み施設が集まるようになってしまい、どれほど犠牲を強いているかわかりません。
 必要な施設だと理解してくださり、協力してくれる市民の皆さんに心から感謝し、最大限の協力をしなければならないと思っています。

カーボンニュートラル※に向けた3つの柱

令和7年3月1日号

 今から28年前、1997年12月に京都で開かれた地球温暖化問題への対策を語り合う「COP3」が開催されたことを皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか。この会議は、地球の温度が上昇し、南極の氷が溶けて海面上昇する状況を食い止めていくために、世界の国々がCO2(二酸化炭素)を削減することによって阻止しようという内容でした。
 間違いなくこの四半世紀で地球上の各地における温度は上昇し、昨年の猛暑を経験した市川市もできる限りのことを行うべきだと考えています。
 まずは、今年1月23日に以前より計画していた地域新電力会社を本市と京葉ガス株式会社と株式会社千葉銀行に出資いただき設立しました。新電力会社はCO2を発生させずに作り上げたクリーンエネルギーを集め、市川市内の公共施設に使う仕組みを作り、さらに太陽光発電を設置した各家庭の余剰電力も買い上げていきます。
 2つ目は、現在のクリーンセンターで発電する能力を、令和13年に完成予定の新しいクリーンセンターでは1.5倍以上にパワーアップします。新電力会社はここを基盤にして年間の売り上げを10数億円と予定しており、純利益としては3000万円程度になると思われますが、そのお金を市民が太陽光パネルなどを設置する費用に補助したいと考えています。
 3つ目は、現在環境省が6回目の募集をかけている「脱炭素先行地域」に本市は再チャレンジして、全国100の地域の中に指定されることを目指しています。賃貸物件の多い都市部のカーボンニュートラルのモデル地域となることが目標です。
 28年前、京都会議に南太平洋のツバルという島国から参加していた数名が「地球温暖化によって海面が上昇し、自分たちの島が沈んでいる」と強く訴えている姿を私は忘れることができません。先進国が多くのCO2を発生させることによって温暖化が進んでいるとするならば、市川市もできる限りの努力をしていきたいと思うのです。次の時代を生きる子供たちのためにも!

家族の紹介

令和7年2月15日号

 早いもので今年で9歳になります。1・2歳の頃はとても可愛らしく、いたずらばかりしていたのですが、今では立派に仕事をしてくれています。
 といっても、我が家にいるワンチャンの話です。名前は田中クリームといいます。
 2016年に柏市のNPO団体・犬と猫の里親探しをしている施設を紹介してもらい、クリームと出会いました。名前の由来は極めて単純で、黒や白と同じようにクリーム色をしていた子犬だったのです。今では「クリッ」と呼んでいます。
飼い主がいない、いわゆる保護犬のクリとは、子犬から中犬までがケージに入れられ積み重なっている小屋の中で出会いました。たくさんのケージの奥の方で、姉妹で仲良くじゃれ合っている2匹が目に入ってきたのです。「2匹を飼うわけにはいかないなぁ」 しばらくその2匹を私はジーッと見ていたのですが、どちらかというとおとなしい子犬にひかれて、その日のうちに家族として連れて帰ることにしました。保護犬は既にワクチンを打ち、去勢・避妊手術もされていますが、保護される前の恐怖心が残っているようで、ちょっとした人の動きに怖がるところが子犬の頃はありました。
 時間がかかりましたが、今は立派な番犬として、知らない人が家の前を通ると「ウォンウォン」と吠えてくれるのです。「クリ、大丈夫だよ。その人は役所の人だから(^_^;)」なんてこともありました。
 市川市においても、動物の保護や里親探しは力を入れていかなければいけない課題だと思っています。

ダーウィンのことば

令和7年2月1日号

 ガラパゴス諸島の進化論で有名な自然科学者のダーウィンが語ったと言われている有名な言葉にこのような言葉があります。「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」
 そこで、令和7年の大きな出来事に、また予測されることを書き出してみたいと思います。
 まずは、先月20日にアメリカの大統領に再登板したドナルド・トランプ氏によって、世界中の国々が戦々恐々としている状況は指摘しなければなりません。少なくとも日本経済にプラスではなくマイナスの影響が生まれるものと考えるべきでしょう。
 2つ目は国内の問題で、約20年間通ってきた与党の政治体制に大きな変化が生まれている可能性があります。それは6月の都議会議員選挙、7月の参議院選挙で明らかになってくると思います。しかし国政や都議会がどのような状況になろうとも、市川市は市民中心の市政運営をしますので、その点はご安心いただきたいと思います。
 予測される直下型地震や夏の猛暑はどうでしょうか?
 気候変動に猜疑的(さいぎてき)な意見を持たれる方もいらっしゃるようですが、昨年の猛暑と本年も同じような夏場の状態を予測するならばクーリングシェルター(市民が涼しい環境で過ごせる場所)をより多く準備していく必要があります。これは高齢者の健康を維持するために極めて重要なことだと考えるからです。もちろん災害の対応は常に意識して、十分に備えておかなければなりません。
 また、デジタル技術の推進にも注意が必要であるという声が世界的に上げられるようになりました。ソーシャルメディアやAIを活用し、利便性を追求することは大切ですが、青少年の健全育成のために幼児期から低学年の教育への導入には注意深く検討しなければなりません。
 このように目まぐるしい変化をする中では、固定観念に縛られることなく、また大きな声や肩書きに惑わされることなく、冷静に判断し、変化に対応することが求められているのではないでしょうか。
 ダーウィンの言葉は、予測する力と柔軟に対応する姿勢が大切だと教えてくれています。

令和7年1月1日号 新年のご挨拶

令和7年1月1日号 新年のご挨拶

 市川市民の皆さん、2025年 令和7年(乙巳きのと・み)明けましておめでとうございます。また、昨年は市制施行90周年にあたり、多くの皆さまにお力添えをいただき心から感謝申し上げます。
 さて、私は昨年11月に行われた大規模災害対応合同防災訓練で次のような挨拶をしました。「日本は水と緑に恵まれた素晴らしい国であると同時に、いつ起こるかもしれない災害に対して乗り越えていく覚悟を持っていなければ」と。
 被災地に心を寄せ協力していくことはもちろんですが、市川市も決して例外ではなく、災害を最小限に抑えるため、市民と力を合わせ、出来る限りの備えをしていかなければなりません。
 また、市川市にはたくさんの課題が山積しています。交通面では、市川のどの地域からでも市民の移動を円滑にしていくことが求められていますし、福祉の面ではホームヘルパーなど介護従事者の不足にも対応していかなければなりません。また、子どもたちの成長する環境、特に食事の面に関しては、行政と民間が協力して守る必要があることなど、市民に最も近い地方自治が本気で市民の生活を守っていかなければなりません。
 市川市が持っているポテンシャルを最大限に活かし、正しい経済活動で発展する、信頼される市川市を創り上げてまいりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 皆様お一人お一人にとって、本年が素晴らしい年になりますことを心から祈念を申し上げ、新年のご挨拶といたします。

〈市制施行90周年記念式典〉その3 新たな無形民俗文化財

令和6年12月21日号

 前回は式典の中で名誉市民になられた片(※片は旧字体)岡直公様と中津攸子様、そして市民栄誉賞を受賞した羽(※羽は旧字体)賀理之選手と辻(※辻は一点しんにょう)内彩野選手のご紹介をさせていただきました。式典は二部構成で、二部ではTSUKEMENのミニコンサート、高橋英樹さんや松木安太郎さんら市川市にご縁のある著名人からのメッセージが続き、最後は行徳地域に伝わる神輿(みこし)の実演が行われました。舞台の上は威勢のいい掛け声と若者の熱気で最高潮に達し、その後会場の皆さんと一緒に三本締めで締めくくるという、キレのある記念式典が行われたのではないかと思っています。行徳の神輿で舞台を締めくくったのには訳があります。それは、90周年に合わせて「行徳の神輿文化と祭礼」が市川市指定無形民俗文化財になったことを紹介し、当日舞台に登場してもらうことになったのです。
 神社仏閣の多い行徳では、古くから宮大工が腕を競い合う環境の中で、神輿が作られるという歴史があり、江戸時代から後藤神輿・浅子神輿が全国に神輿を届けていたのです。その伝統ある神輿づくりを今も受け継いでくれているのが有限会社中台製作所なのです。行徳は、神輿を作る町であると同時に、神輿が住民の生活文化の特色となり、地域ごとに守られ伝えられてきました。その点が評価され、市川市文化財保護審議会において平成28年から議論され、このほど正式に審議を経て、教育委員会で市制施行90周年にあわせて指定されたものです。
 これからも、市川市の文化として行徳で作られた神輿を独自のもみ方で後世に伝え残してもらいたいと思っています。なお、市川市の指定無形民俗文化財には大野町の駒形大神社における「御奉謝(おびしゃ)」や国府台の「辻(※辻は一点しんにょう)切り」があり、市内全域の貴重な文化財として大切に保存されています。

〈市制施行90周年記念式典〉 その2 市川の誉れ

令和6年12月7日号

 市制施行90周年式典では、記念行事として名誉市民選考委員会が式典前に設立され、委員の皆さま方によって名誉市民が選ばれるわけです。もちろん最後には私の決断が必要となりますが、公平・公正に審議が進められ2名の方が決定いたしました。
市川市で今まで選ばれた21名の名誉市民の中に経済人は1名しか選ばれておりませんでしたから、私も経済界から新たな名誉市民の誕生を望んでおりましたところ、政界・財界と多くの人脈を持つ片(※片は旧字体)岡直公様のお名前が挙がったことを嬉しく思いました。また女性では、平安時代からの市川市の歴史に強い関心をもち、深く研究されてこられた女流作家の中津攸子様が選ばれたことも市民として大変誇らしいことだと思っています。式典では両名に私が市民を代表して名誉市民の称号をお贈りしました。
お二人にはこれからも健康にご留意され、さらにご活躍されることを心から願っております。
 同時に、市川市の90周年と同じ年にパラリンピックが開催されておりましたので、活躍された市川市とのつながりを持つアスリートに市民栄誉賞をぜひ贈りたいと思い、車いすラグビーで金メダルを取られた日本チームの副キャプテン、羽賀理之選手(※羽は旧字体)、並びに競泳100メートルフリーS12クラスで銅メダルに輝いた辻(辻は1点しんにょう)内彩野選手両名に市民栄誉賞をお受けいただきました。受賞した際に羽賀選手(※羽は旧字体)はご挨拶で、行徳小学校に通っていた頃、「こうと決めたら田中甲!」という声をよく耳にしたエピソードを紹介され、その甲さん本人から市民栄誉賞を受けられたことがとても嬉しいと言ってくれたのです。競技だけではなく2人は神様からの課題を見事に乗り超えて、強さと優しい心でしっかりと幸せをつかんだ人だと感じています。市川市で成長する多くの子どもたちに、幸せとは何か?を問いかけてくれた、市川市の誉れとなるお二人ではないでしょうか。
(続)

〈市制施行90周年記念式典〉 その1

令和6年11月16日号

 11月3日文化の日は、市川市にとっては市制施行を宣言した日ということでもあります。今年はその90年の節目として、市川市文化会館大ホールにおいて市制施行90周年記念式典を挙行いたしました。周年行事にあたり、市政にご尽力くださった多くの市民の皆さまに感謝状の贈呈を行い、その中でも名誉市民と成られたお二方、また市民栄誉賞はパラリンピックで活躍された2名の方にそれぞれお渡し致しました。
 ご来賓としては、穴澤千葉県副知事、石井準一参議院議員をはじめ国会議員の皆さま、さらには姉妹都市ガーデナ市からターシャ・セルダ市長、ロドニー・タナカ副市長、市川市選出の県議会議員、千葉県内の市長や議長、もちろん市川市議会からは稲葉議長をはじめ市議会議員が出席してくれました。
 私は議長と共にモーニング姿で出席し、感謝の気持ちを込めて式辞を読み上げることができたと思っております。
 式典は皆さま方のおかげで大変に充実したものになり、次回はその内容を少しお話しさせていただきたいと思います。

温故知新

令和6年11月2日号

 防災・減災並びに防犯をテーマとし市内14カ所で開催したタウンミーティングでは自治会役員の皆さん方から様々なお話を伺うことができました。また問題点を市役所職員と共に確認することができたことは大変に有意義だったと思っています。各自治会の皆さんご協力をいただきありがとうございました。
 さて、本年は市川市 市制施行90周年に当たります。
 記念式典は11月3日に行われますが、皆さんの協力をいただき立派な式典となるように努めてまいります。
 しかし90周年は1つの通過点であって、これから先の市川市が何を大切にしていくべきかを明確に示すことが大切だと考えます。
そのためには木を見て森を見ずであってはいけません。
 来年は昭和から数えて100年で、戦後80年の時間が経過したということでもあります。改めて平和の尊さを確認し、40年前に「核兵器廃絶平和都市宣言」を行った市川市は自らが先頭に立って核兵器廃絶平和宣言を唱っている自治体に呼びかけ「世界に核廃絶を発信する会合」を催したいと思っています。
 また、さらに時代を遡ると奈良時代には、市川市に国府が置かれ下総国の中心となり、この地域で多くの人々が生活し、また交流を図っていました。そこには安定した街があり、その街を作り上げるリーダーがいたということに他なりません。
 これからも市川市で生活している市民の皆さんが安心して日々の生活を送ることができるように、タウンミーティングで聞いた問題一つひとつを解決していき、皆さんが抱えている課題にしっかりと向き合っていく市川市を創り上げていきたいと思います。

「地方自治が支える日本」その3

令和6年10月19日号

 日本はアメリカやイギリス同様に政権交代可能な制度と銘打って、二者択一の小選挙区制度というものに挑戦したが、比例代表制という制度も加わって政党が乱立し、日本人の体質には馴染むものではなかったことが既に明らかとなっている。
 現在行われている衆議院選挙を見ても、政治と金という裏金問題ばかりが争点となり、国が本来やらなければならない重大な問題に触れようともしていない。例えば、国民健康保険は制度の破綻が危惧されている点や、自治体に約束した補助金の割合を引き下げることなどが通常化され、地方自治に無理を押しつけたままでこれらの制度を改める本質的な改正を先延ばしにしてきている。また都市部においては、特に地方交付税の不交付団体はふるさと納税による自主財源の圧縮を避けることができない。
 これからの地方自治は、福祉・介護をはじめ高齢化の中で、民生費や起こりうる災害に対する事前の対策の予算もかけていかなければならず、それらの問題に国政が正面から解決策を出そうとしているようにはみえない。さらに、市川市は前述のとおり国からの地方交付税を10年間受け取ることなく、自助努力で学校給食費や第2子以降の保育料の無償化を行っている。
 いや、これからまだまだ市民の求める施策を進めていかなければならないと思っている。
 まさに国の縛りや無駄遣いを地方自治が住民と共に努力して支えているというのが、現在の日本の姿だというのが私の正直な感想だ。同時に知恵を絞り、近隣行政と協力し合い、住民サービスの更なる充実を図っていく必要性を感じている。

「地方自治が支える日本」 その2

令和6年10月5日号

 アメリカ主導の日米関係に疑問を持っていた私は、アメリカの候補者養成学校「リーダーシップ研究所」の生徒となった。全世界の若者が学ぶ中、私は47歳という異例の参加だ。しかし想像に反して、そこには敗戦国日本に対する戦勝国の高圧的な姿勢は全くなく、自由主義と資本主義経済を守ろうとする人たちに対し、仲間として温かく迎えてくれる環境があった。
 毎週決められた曜日に上院議員・下院議員を呼んで勉強をする会合があり、減税のための政策立案組織があり、またそれらの活動を支援するために資金を集めていく団体があり、さらに人材を育てるリーダーシップ研究所等が繋がり輪を作り広げていく。
そして減税や小さな政府を目指す人に対しては国籍や民族の隔たり無く、まるで家族のように繋がっているのだ。
 アメリカで教わったことの中で印象に残っている言葉が2つあるので紹介したい。「自由のないところに哲学は生まれない!」そして「平等でなければ議論は成立しない」という言葉が今でも強く心に残っている。

「地方自治が支える日本」その1

令和6年9月21日号

2005年4期目の衆議院選挙で落選した私はワシントンD.C.のリーダーシップ 研究所で是非レッスンを受けたいと思いアメリカに渡った。この研究所は、自由主義と資本主義経済を柱とする世界中の国々から若者が集まってきている。私はアメリカ、
フランスの若者たちと一緒にレッスンを受ける事となった。そのレッスンの内容を要約すると◯小さな政府◯減税◯市場経済◯強い国防◯自己責任であり、この5本柱がみっちりと教え込まれる。そしてここで学んだ生徒は、政治家になる道を選んだり、メディアになる道を選んだりして羽ばたいていく。しかしすでに10年国会議員を経験した私の場合、少々違う目的があった。それは、日本の政府が長期政権を目指す場合に最も重要なことはアメリカとの良好な関係を作り出すことであるから、日本がそうせざるを得ないこの国の力の源泉を自分の肌で感じてみたいということだった。だが、私がここで見たものは想像していたものとは、全く異なるものだった!
(続)

再発防止を決意!

令和6年9月7日号

 本年7月30日に本市下水道部次長が収賄等の容疑で逮捕され、8月19日に千葉地方検察庁から当該職員が同容疑で起訴されました。冒頭、改めて市民の皆さんに心より深くお詫びを申し上げます。
 江戸川の最河口部にあたる市川市は、県の管理で進められてきた下水道幹線の遅れにより下水道の普及率を上げることができない
という問題を抱えています。実際に市川市の下水道普及率は現在79パーセントで、今後も工事を進めていかなければなりません。
 そのような状況の中、市内業者の皆さんには普及率向上にご苦労いただいているわけですが、その公共事業の入札の金額を業者側に流すという今回の事案は、市役所職員としてあってはならないことです。さらに、その見返りとして当該業者から
ツケのきくお店を紹介され、職員が飲食の提供を受けるということが継続して行われてきたとするならば重大な問題として受け止めることは当然であり、再発防止のために発注元の市川市としても調査を進めていかなければなりません。
 すでに私は複数の弁護士と公認会計士で組織するコンプライアンス委員会議を7月9日に立ち上げ、8月20日に2回目の会議を
行ったところです。今後は、県警の捜査状況を確認しつつコンプライアンス委員会議において過去にさかのぼり入札の検証を行うとともに、すべての職員にアンケート調査を行い、業者との関わりの中で中元や歳暮の受け取りが有るか無いかの現状を調べてまいります。
 納税者の皆さんのお金は正しく使われるべきですし、またまじめに仕事をしている企業にとってこれほど不愉快で迷惑なことはないと思います。不正を正し税金の無駄遣いを無くすことにより、市民の皆さんの信頼を取り戻していかなければなりません。

日本人として

令和6年8月17日号

 1993年に国会議員となった私は、2年後「戦後50年問題プロジェクト」という与党チームで終戦後から抱える様々な懸案事項を確認し、一つひとつ解決していくために国内外の活動をしていました。国内では過去に目を背けることがないように「恒久平和調査局設置法案」を取りまとめ提出したり、中国に出向き当時の総書記・江沢民氏にアジアにおける核廃絶を訴えてきました。
そして、私の頭の中には消えることがない疑問が生まれていました。それは、海外に置き去りにされた日本兵・約115万柱がそのままになっていていいのか?その御霊を慰霊する事が日本人にとってやらなければならない重要なことなのではないだろうか?日々の忙しさに追われ、このことを忘れてしまう日本人になってはいけないということでした。
 そんな時、偶然に行徳にお住まいで公益財団法人 太平洋戦争戦没者慰霊協会の代表理事を務める方とお会いすることになるのです。
この慰霊協会は、先の大戦の激戦地、世界4カ所に慰霊碑を建立し、維持管理をしている団体です。私もその団体の趣旨に賛同して協力できることを考え、サイパンを経由しグアムにある慰霊碑に出かけ手を合わせてきました。
 日本は今年終戦から79年を迎えました。様々な問題を抱える日本ですが、平和を守り、命を大切にすることを市川市で実践しつつ、次の世代にもしっかりと伝えていかなければならないと思います。
 現在、私は(公財)太平洋戦争戦没者慰霊協会の代表理事を引き継いでいます。この活動は、日本人である私のライフワークとして生涯続けていくこととなるでしょう。

トップセールス

令和6年8月3日号

 私は今朝(8月3日早朝)東京の大田市場で梨のセールスを行っています。市長になってから毎年、大田市場に出向き「市川のなし」のPRをすることが恒例となり、今年で3回目となります。
 ご存知のように「市川のなし」は大変に評価が高く、みずみずしさと歯切れのよい甘さが、歯触りとともに私たちを満足させてくれます。
 8月に出荷するのはまず「幸水」ですが、この幸水は果汁たっぷりで甘みが強く、酸味が少ないのが特徴です。大田市場のマンモス競売場わきの集会場で、梨の産地市川の市長が紹介されたのちに、私が「市川のなし」の売り声を上げることになります。
 「市川市で最も有名なのは、今日皆さん方にお配りする市川産の梨です」「市川の梨農家が一つひとつ丹精を込めて作り上げ、全国の皆さんが楽しみにしてくれています」また「遠くドバイにおいても高価な果物として求められていることも美味しさの証かもしれません。」
 この時期の大田市場は岡山や山梨の桃、長野の葡萄(ぶどう)等、たくさんの果物が取引されていますが、その中でも「市川のなし」のPRに多くの仲買商の皆さん方が集まってくれます。それだけ美味しい「市川のなし」を市場が待ちわびてくれたと
思うと私としても嬉しい限りです。バンバンと「市川のなし」を売り捌(さば)いていただくために仲買商の皆さんにも「幸水」を先着100名の方に配布していますので、市川市が梨のPRに来ることを楽しみにしているのかもしれません。
 「幸水」の後には「豊水」、「あきづき」、その後には「新高」。最近では大玉の「王秋」や「かおり」などが出荷され、それぞれ甘味・酸味のバランスや歯触りを食べ比べても楽しいと思います。ぜひ皆さんにも地元「市川のなし」を堪能していただきたいと思います。

あだ名

令和6年7月20日号

 今回は少し砕けて、私がどのようなあだ名で家族から、そして友人から呼ばれていたかをお話ししたいと思います。
 では幼少の頃から(笑)。親からもらったお小遣いや、お年玉を全て母に預け、貯金しといて!といつも言っていたので、姉は私のことを「チョッキン」と呼んで笑っていました。6歳年上の兄は体格が良く、小柄な私のことを「ちび」と呼んでいました。
私もそれが当然だと受け止めていましたから、兄よりも大きくなれなかったのは必然なのかもしれません。
 小学校に入ると、仲の良い友達が「ポンキー」と呼ぶようになったのです。理由を聞いてみると、お猿さんによく似ているけどモンキーじゃかわいそうだからポンキーにしたよ!ということです。今でも小学校の友達に会うと「ポンキー」と呼ばれ嬉しく思っています。そうそう、私にあだ名をつけた友人は長井くんといって、あだ名はナガポンでした。
 中学校でサッカー部の先輩からは「モンタ」と呼ばれ、どうしても猿から離れることができないようです。高校は埼玉県の学校で寮に入り仲間と集団生活をしました。自分の机には
◯フレッシュ甲
◯チャレンジ甲
◯相手は自分!
と書いた紙を貼って頑張っていたのですが、この時のあだ名は、なんとも恥ずかしい限りですが「じじい」丸坊主で半纏(はんてん)を着て、廊下を眠そうに歩いていたからかもしれませんが、人生最大の汚点です。
 しっかりと職務を努めてまいりますので、「じじい」とは言わないでください!

蘇れ芝桜

令和6年7月6日号

 「いちかわ景観100選」にも選ばれた郭沫若記念館(市川市真間5-3-19)の庭園の芝桜が、2020年を最後にその美しい景色を見ることができなくなったことはとても残念なことです。多くの市民の方がどうしてそうなってしまったの?と不思議に思いつつ時間が経過してしまったのです。
 今年の4月、あるコミュニティ新聞で、その後の庭園の姿が防草シートで覆われたままになっているという記事が掲載され、
その内容は市川市は庭園をこのままの状態で放置しておくのか?と問いかけるものでした。
 早速、当時のことに詳しい職員に聞いてみると、どうやら自費で芝桜の苗を購入して手入れをしてくれていた職員の退職に伴い維持ができなくなり、雑草が混じった状態を防草シートで覆い消滅させてしまったということのようです。
 さらに詳細を知りたいと思っていた私は、幸いにも芝桜の庭園を造ってくれた元職員のYさんと直接お話をする機会を得ることが出来たのです。そして、なんとその方から「もし市がその方針を立ててくれるならば、もう一度初めからやらせていただきます。」という前向きなお言葉をいただきました。
 さっそく私は文化国際部長と共に、郭沫若記念館を管理している市川市文化振興財団と連絡を取り、防草シートが被せてある場所に芝桜を再生する計画を立てることにしました。「もう一度芝桜を咲かせ隊」とチームに名前を付け、ワンシーズンでも早く美しい庭園を市民の皆さん方に見ていただけるように、Yさんを中心に協力してくれるメンバーを集めていくことにしています。
 市民の皆さん、もう少しだけお待ちください。以前のようにきれいに咲き誇る芝桜の庭園をご覧いただけますので。
 異才の人、郭沫若もきっと喜んでくれることでしょう。

千葉県の消防の父

令和6年6月15日号

 市川市にはそれぞれの地域に消防団が作られ、地域の災害に対して消防はもちろんのこと防災リーダーとしての役割を担ってくれています。
 また、市内の全23分団は定期的に開催される消防操法大会に出場し、消防活動を競い合うことにより団の結束を高めていくという
場面もあります。
 特筆すべきは、一昨年に開催された全国消防操法大会において第6分団がポンプ車の部で準優勝を果たし、全国で市川市の名前を高めてくれたことです。またその活躍などが評価され、日本消防協会特別表彰として「まとい」が贈られました。近く市役所第1庁舎1階に展示いたしますので、ご覧いただければと思います。
 市川市内における消防操法大会で優勝した分団には、賞状と優勝旗に加えて福地杯というトロフィーが贈られます。この福地杯とは、市川市の初代消防団長 福地新作氏のことであり、県下に先駆けて常備消防部を置くなど、市川市消防の礎を築き、昭和23年には初代千葉県消防協会会長に就任されています。福地新作氏は、千葉県全体の消防の底上げに尽力した功績を讃え「千葉県の消防の父」と呼ばれています。
 市原市にある千葉県消防学校のロビーには、福地新作氏の胸像が飾られており、その胸像が消防訓練場を見守る形で設置されています。
 今年の11月10日には江戸川河川敷において、大規模災害対応合同防災訓練を開催する予定です。市川市消防局や関係団体の防災体制を市民の皆さんに見ていただくと同時に、消防団の伝統あるきびきびした動きを市川市の誇りと感じていただければ嬉しく思います。

中山地域を散策

令和6年6月1日号

 その日は、水防訓練が始まる前の少しの時間をもらい、中山に向かいました。
 それは、中山法華経寺の参道で130年の長きにわたり飲食を提供していた「田中家」が店を閉じることになったからです。「田中家」の店主は地域やお寺の行事にも積極的に協力してくださり、長きにわたり地域から愛されている方です。私のことも、
いつも気持ちよく迎えてくれる店主にお会いしたいという気持ちで、最終営業日である5月20日にうかがったのです。
 一緒にお仕事をされていた方は西千葉から通っていると初めて聞き、お二人には心から「お疲れさまでした」と伝えたところ、何も注文していないにもかかわらずラーメンとアイスコーヒーを出していただき、さらに、私の身体のことをいたわってくれたのでした。
 お二人に深々と頭を下げ、中山法華経寺のお世話になっているお上人にご挨拶をしようと境内へ向かうことに・・・・。
 話は変わりますが、みなさんは境内に蒋介石(しょうかいせき)の胸像があるのをご存じでしょうか。蒋介石は、若く日本に留学し、東京振武学校(国立の軍人養成学校)で学び、また1912年からは日本に亡命した歴史を持つ方で、市川市名誉市民でもある中村勝五郎氏と深いご縁があります。
 そして私の頭の中で、蒋介石の忘れることのできない言葉がよみがえってくるのでした。それは「怨(うら)みに報いるに徳を以(もっ)てす」という言葉です。今もなお戦争が続いている世界の情勢をみたときに、報復の連鎖によって平和が遠のいてしまうことを感じている私は、先の終戦後にこの言葉をもって日本を擁護してくれた恩を忘れてはいけないと思うのです。
胸像に手を合わせ、急いで水防訓練が行われる菅野に向かう前のひと時の散策でした。

令和6年5月18日号 タウンミーティングも防災

令和6年5月18日号 タウンミーティングも防災

 ゴールデンウィークはご案内をいただいた行事に顔を出せず申し訳ありませんでした。その間、母が他界してから先延ばしにしていた親戚への挨拶や施設へのお見舞いに出かけ、自宅では読みかけだった寂聴さんの本を読んだり、志ん朝の落語を聞いたりと、比較的リラックスする時間を持たせていただくことができました。ありがとうございます。7日からはいつも通りのスタイルで公務を行っておりますのでどうぞよろしくお願いします。
 さて、みなさんはメイストーム(5月の嵐)と言われる気象現象をご存知でしょうか?4月後半から5月のこの時期に、低気圧が急速に発達し突然天候が荒れることをいいます。この時期は、北部のガケ地の崩壊や市街地の浸水、また海上の急激な変化にも注意しなければなりません。
 市内の水害発生箇所はずいぶんと改善されてきましたが、最近のように線状降水帯が発生する事態を考えると十分に警戒が必要です。震災に対しての備えと同様に、台風シーズンにも自治会のみなさんと連携して、最善の処置が取れるように対応し、市民の身体・財産を守るために積極的な行動をしていきたいと考えています。
 具体的には今年のタウンミーティングのテーマを「防災・防犯」として市内全域14地区連合会を回り、話し合いの場を持ちたいと思います。その際はどうぞよろしくお願いいたします。
 また、昨年は小学校単位での避難所設置訓練を中心に防災訓練を行っていましたが、本年はそれに合わせ総合防災訓練をより多くの市民の参加とともに江戸川河川敷で計画したいと思っています。
 「大難を小難に、小難を無難に」と願いつつ二次災害を発生させない防災に強いまちを目指してまいります。

令和6年5月4日号 市川北部の風物詩!

令和6年5月4日号 市川北部の風物詩!

 市川の海、三番瀬(さんばんぜ)は多くの生き物を生み育む貴重な場所であることを紹介しました。その海に流れ込む川もまた、市川市の大切な自然であり財産といえます。流れ込む川は必要に応じて開門する江戸川放水路や旧江戸川、また真間川ということになりますが、さらにその真間川の上流で合流しているのが国分川です。
 今回のコラムではこの国分川で本日(4日)行われる「第33回国分川鯉のぼりフェスティバル」をご紹介させていただきます。
 1991年に国分7丁目自治会と稲越自治会の14名の地元有志によって「甦(よみがえ)れ清流」「子ども達の健全育成」を掲げ、国分川沿いに手作りのポールで鯉のぼりを泳がせたのが始まりです。
 今ではこの地域には懸案となっていた国分川調節池が設けられ、同時に国分川の改修工事も終了して多目的広場に生まれ変わり、盛大な鯉のぼりフェスティバルが開催されるようになりました。昨年私はその姿を見て、市民発・市川市3大祭りの1つだと宣言をしましたが、国分川に沿って鯉のぼりが400流以上も泳ぐ姿は圧巻です。
 余談ですが、国分川に鯉を放流したらどうか?と「水辺のまちづくり推進参与」の秀島先生に相談したところ「鯉は雑食ですので生態を崩す危険性がある」と注意されたのが大変に印象に残っています。
 市川市は南北に大変に長く、海から約10キロ上流の国分川の生態を大切にしながら、のびやかに泳ぐ鯉のぼりとともに、子どもたちの成長を見守る市川市をつくっていきたいと思います。
 当日の紹介になりましたが、お時間ありましたら「道の駅“いちかわ”」がすぐ近くにありますのでお出かけになってみてはいかがでしょうか。

〈市川市親善大使〉

令和6年4月20日号

 作詞・作曲また歌手として、世代を超えて記憶に残る曲を今もなお送り出している方それが〈さだ まさし〉さんだと思っています。
 さださんは私よりも少し年上になりますが、グレープで活動していたころの「精霊流し」や、若い世代では「北の国から」の主題歌などが有名です。また「関白宣言」「道化師のソネット」などタイトルを聴いただけで曲が思い浮かんできます。シンガーソングライター以外の世界でも、軽妙なトークでテレビ・ラジオ番組のパーソナリティとしても魅力的で〈さだ まさし〉さんに知識の豊富さを感じるのは私だけではないと思います。
 このほど、市川市市制施行90周年の事業の一環として、市川市で約20年間青春時代を過ごした〈さだ まさし〉さんに市川市親善大使をご依頼したところ、快くお引き受けいただくことができました。
 ご本人が「市川市は第2の故郷(ふるさと)」と発言されているように、〈さだ まさし〉さんが愛おしさを感じているまち、市川をより多くの人にPRしていただければと思っています。
 今年2月に行われた東京国際フォーラムでのコンサートでご本人に初めてお会いした際に〈さだ まさし〉さんの謙虚で物腰の柔らかな姿に、温かみと深みを感じたのが大変印象的でした。
 束の間でしたが、その際共通のご縁がある宮内庁の賢所(けんしょ)にお勤めになられていた方のお話しをすることができました。
 これからは、市川市のいろいろな場所で〈さだ まさし〉さんの曲が皆さんの耳に届くようなまちにしていきたいと思います。
 楽しみにしていてください。

今日よりも明日を良く!

令和6年4月6日号

 令和4年4月22日に市長に就任した私は、今月で就任から丸2年を迎えることとなります。その間、税金の使い方に関して市民のみなさんから誤解を招くようなことがあってはならないと、常に考えて行動してきました。
 2年間で気づいたことは「市川市内における格差問題」なのかもしれません。
 東京に隣接する市川市において、所得格差・学力の格差・南北格差などが溝のように横たわっていることを肌で感じるようになってきたのです。
 特に子どもたちの成長の中でチャンスを平等に与えるべきという考えから、学校給食の無償化や18歳までの医療費の助成を実現できたことは良かったと思っています。日々生活していく中で、経済的に厳しい状況に立たされている市民が少なくないという点も、その家庭環境の中で成長する子どもたちにどのような影響を与えているのか想像力をもって行政の対応を行っていかなければならないと思っています。こども食堂・フードリボンプロジェクト・いちカレは現在十分ではありませんが、着実に伸ばしていきたいと思っています。
 そして南北に土地の長い市川市において、お互いにそれぞれの地域の良さを高め、協調し合う市川市の姿を作り出していきたいと思うのです。
 そして、その結果が多くの市民のみなさん方に住みやすい、さらに住み続けたいと思ってもらえる市川市になると確信しています。
 今年は、市制施行90周年です。90年の積み重ねは大変なことですが、本心を申し上げれば、90周年は通過点であり常に市民目線で市内の問題点をコツコツと改善していくことが肝要だと思っています。どんなに難しくとも、今日よりも明日を良くすることをテーマに掲げ努力していきます。
 今こそ市川市の足元をしっかり見据え、安定した社会を作りつつ次の時代に向けての舵取りを行っていかなければなりません。

新しい風

令和6年3月16日号

 3月12日に2月市議会定例会は、すべての議案を可決し無事終了しました。
 この議会は令和6年度の予算も議案として提出している重要な定例会でしたので、正直安堵しているところです。
 話は変わりますが37年前、私は議員席の最前列に座っていたことがあります。私が市議会議員に初当選をした昭和62年の新人は次のようなメンバーでした。私の隣の席には後に市川市長になった千葉 光行さん、そして杉澤 順一さん・石橋 定七さん・寒川 一郎さん・西原 勝彦さん・日本社会党の村上 克子さん、佐藤 義一さん・公明党の山本 次郎さんの9名です。意気投合した私たちは「はなの会」という名称のもとで定期的に集まりを持っていたことが思い返されます。
この会は当選年次の1987年をもじって山本 次郎さんが「はな(87)の会」と命名してくれました。懐かしい思い出です。
 今は私が市長席に座っているわけですが、37年前に当選したこの超党派のメンバーと去年当選した新人の市議会議員11名に類似点があるように思えてならないのです。この11名が切磋琢磨して、例えば一般質問で競い合い、自分たちのまち市川市を良くしていこうという姿勢を継続してもらえれば、若手から議場の空気が変わっていくように感じます。もちろん、ベテランのみなさん方にもさらに充実した活動をしていただけると思っています。
 振り返る37年のあいだに、多くの公共施設がつくられてきたことは事実ですが、さらに市民のための市政づくりに向けて精度を上げることができるように、市川市は「新しい風」を吹かせていかなければなりません。

令和6年3月2日号 好まざる市役所の慣習

令和6年3月2日号 好まざる市役所の慣習

 2月市議会定例会の冒頭で私が施政方針を述べることは、前回の「こうご期待」でお話しさせていただきました。その中で「市制施行90周年を迎え、この90年間で行政区域の面積が約2.5倍に増え、人口も12倍以上に増加した発展をたたえると同時に、90年間の積み重ねの中でできた『好まざる市役所の慣習』があればそこから目を背けず刷新していかなければならない」と議場で述べる場面がありました。
そのことは具体的に何なのかと疑問をもたれるかもしれませんが、私の感じるところを正直に市民のみなさんにお伝えしたいと思います。
 まず、入庁して間もないやる気のある職員が市役所内の「責任回避」と「事なかれ主義」によって意欲が停滞することがあったとするならば、その体質は直さなければならないと思っているのです。そのために、職員の仕事を減点法で判断するのではなく、どれだけ挑戦したかという加点法に切り替えていかなければなりません。そしてトライ&エラーを重ねる中で、若い職員が成功体験を経験し、市民の声に応えていく幹部に成長してもらいたいと思うのです。
 また、報道関係者が市川市役所内で活動しづらいということを以前よりよく耳にします。市の事業でメディアが関心を持ったことを取材しやすい環境を作っていく必要があると感じています。この傾向は前任の市長が報道関係者からの取材を受けたがらない、また関係した職員も報道からの取材を拒否していたという体質から、新庁舎のセキュリティの中で報道陣に対して壁を作ってしまっていることが大きな問題だと思います。良いことをしようとしていることはメディアの力を借り、より多くの市民に伝えてもらいたいと思うからです。
 加えて、4年ごとに行われる市長選挙に市の職員、つまり公務員が核となって現職を支持することはあってはならないことで、私はその姿を正していかなければならないと思っています。まだ改善点はいろいろあると思います。
 繰り返しになりますが、私たち職員の給与は市民の方々からお預かりしている税金です。みなさんに応える市川市役所になるよう努力してまいります。

2月市議会定例会

令和6年2月17日号

 14日より市議会が開催されています。冒頭、私より42名の市議会議員を通じ市民のみなさん方に令和6年度の施政方針を述べ、市政運営に対する私の基本姿勢を披歴(ひれき)させていただきました。
 世界、日本、千葉県、市川市と鳥瞰(ちょうかん)する形で現在の市川市の立ち位置を確認したうえで、市民が市川市に住み続けたいと思っていただけるようにするための3つのかたまりをつくり、政策を考えました。

 1つ目は誰一人取り残さないために、2つ目は持続可能で安心・快適なまちをつくるために、3つ目は、その市川市が魅力あふれる元気なまちであり続けるためにというフレームです。また、今年は市川市制施行90周年という節目を迎える中で、新しい時代に向けての市政運営の在り方も示していかなければならないと考えています。
 具体的な項目として 
○引き続き子育て世帯と子どもたちのことを考えた「学校給食の無償化」などを継続 
○「健康寿命日本一」を目指しての75歳を超えるゴールドシニアのみなさんに対する施策の充実 
○市川で店舗や企業を営んでいるみなさんへの「デジタル地域通貨」を通じた人やお金の流れの仕組み 
○安全・安心のための防犯カメラを備えた防犯灯の設置の促進
○ICHICOに公共のための市民活動にポイントを付与する「行政ポイント」の拡充 
○全体にわたり市川のこれからの方向性の中でクリーンエネルギーを生み、それを普及していくための拠点として「地域新電力会社」の設立などを提言させていただいています。
 議会では、各会派の代表質問や議員の一般質問が述べられますが、議員の意見にもしっかり耳を傾けたいと思います。
 市役所の仕事とは市民のみなさん方の役に立つことです。役所とはそういう言葉であることをかみしめて、誰一人取り残すことのない市政運営を目指し、職員と共に歩んでいきたいと思います。

続 能登半島地震に伴う支援の状況

令和6年2月3日号

10日~14日 珠洲市に近づくにつれ道路の亀裂や建物の倒壊が目立つようになる。
 当初の目的地であった珠洲市郊外にある避難所には通行止めや支援車両の渋滞により辿り着けず、市街地にある珠洲市商工会議所に宿泊することとなったと報告が入り、被害の大きさを感じた。
 翌日11日、避難所は断水が続いており、トイレも仮設で風呂ももちろん使用できない。すべて土足での生活となっているため、衛生面を改善するべく靴の消毒ができるようにした。
 さらに、温かい朝食の提供、保温効果とクッション性を備えたエアマットの設置など、環境改善のために努める。
16日~20日 第2陣として危機管理課 川上陽副参事、鷲英一郎主任主事、地域防災課 伊藤蘭之介主事が派遣された。
 避難所は断水が続いているが、自衛隊による入浴支援や移動式シャワー室の設置など改善されつつある。
 避難生活の長期化により、避難者の運動不足やストレス対策が必要であるが、住民同士が自主的に助け合い、避難所運営にも協力いただいたことが印象的であった。
19日~23日 第3陣は、住家の被害認定調査のために固定資産税課 高橋(※高橋ははしごだか)康治副主幹、杉岡雄哉主事、市民税課 金子誠主任主事が派遣された。
 現地では雨が続き非常に寒い中、罹災証明を発行するために住家の屋根や外壁、傾きなどの調査が行われた。エリアによって状況は違うものの、沿岸部では津波による被害もありほとんどが全壊してしまっている。
 派遣業務を終えた職員の経験を本市の防災・減災対策に活かすために、避難所運営の在り方や災害時の行政の役割についてより具体的に整理する必要があるだろう。
 また、今回の地震で被災した方から本市が提供している市営住宅に入居の申込みが入る。安心して生活していただきたい。
 今後も継続して被災地の要望に応える支援ができるよう努めていきたい。
 そして、能登半島の災害のことを常に心に置きつつ、令和6年を充実した一年にしたいと改めて強く感じている。

能登半島地震に伴う支援の状況

令和6年1月20日号

1日 16:10 令和6年元日午後4時10分ごろに震度7の地震が石川県能登半島を襲い、その後も断続的に大きな地震が発生し、建物倒壊や大規模火災が発生した。
 このことによって日本国中の賀詞祝賀の気持ちは吹っ飛び、日本にいる全ての人が地震国に生活していることを再認識させられた。
 テレビから流れるニュースの報道は津波を警戒してアナウンサーの声がお願いするような呼びかけではなく、厳しい命令形となっていたことが東日本大震災以来災害が多発していることを感じさせる。
2日 21:05 私も地震が発生した翌日、千葉県の熊谷知事に連絡を取り、市川市が行うべき協力事項があれば連絡をいただきたいと伝え、市の危機管理室と市川市消防局に対して派遣要請があった場合の車両の準備と人員確保の指示を行った。
 同時に市営住宅の中で被災地からの避難希望者が出た場合の住宅の確保の可能性も調査すべきと判断をした。
 すぐにでも駆け付けたい気持ちだが、古くは阪神・淡路大震災(1995年1・17)東日本大震災(2011年3・11)の経験を踏まえ、すぐに行動することの良し悪しを知っている。
 まずは県と連携を図り、被災地からあがってきた要望に対する内容に応えることが肝要だと認識している。

4日 15:50熊谷知事から連絡が入り、千葉県は最も被害が深刻な珠洲市を担当することになったということ、市川市にも人員等の派遣要請を行うことが考えられ、その際はよろしくという内容であった。
 すでに準備は整っており、珠洲市の状況をできるかぎり調べ危機管理室から3名の派遣員を選任してもらう。

9日 13:00 満を持しての先発隊は危機管理課 土屋昌之主幹、白髭路人主任主事、地域防災課 福嶋一希主任の3名。
 市長室にて「十分に身体に気をつけて、被災地の救済活動に尽力してもらいたい」そのように声をかける。
 期間は5日間だが、先発隊の持ち帰る情報に対応できる必要な人材をさらに市川市が期間を決めて送り出すという体制を繰り返していきたい。
 なお、石川県の馳浩知事とは「活力ある地方を創る首長の会」291名のグループラインで常に連絡を取り合うことが可能となっている。 続

卆寿(そつじゅ)の卒業式

令和6年1月1日号

 卆寿とは字のごとく90歳の長寿をお祝いする行事のことで、皆さんもご存じだと思います。
 しかし、一口で90歳といいますが、なかなか多くの人が到達できるものではありません。
 まして、男性で90歳を迎え元気な人は少ないのが現実だと思います。
 さて、今年90歳を迎える方は、昭和9年生まれでちょうど市川市が誕生した年に赤ちゃんとして生まれました。
 この生まれ年の人は7歳で戦争を体験することとなり、今のように豊かな食生活には程遠く、小学校を卒業する12歳には
最も国内の状況が厳しくなり、卒業式を経験することができなかった皆さんです。当時、市川市内に設置されていた小学校9校に在籍していた方は約1,800名になります。
 このたび、市川市は90歳を迎えた方々に遅まきながら卒業式を催し、78年越しに卒業証書を手渡ししたらどうだろうかと、関係者と話し合い、会を催すことといたしました。
 会の名称は「卆寿の卒業式」 市制施行90周年の記念式典が行われる11月3日の前日、2日土曜日に全日警ホールで開催する予定です。
 残念ながら恩師の校長先生から卒業証書を受け取ることはできませんが、代わりに市川市の教育長がお渡しすることとして準備を進めています。
 市川市も90歳、卒業生も90歳の「卆寿の卒業式」に市長である私も参加して、心からの拍手を送りたいと思います。

1年を振り返って

令和5年12月16日号

 1年というものが、いろいろな出来事があっても、アッという間に感じるのが師走なのかもしれません。
 そんな中ですが、私の1年間を振り返ってみると、3月に入院加療が必要だったことは大きな出来事でした。
 市長という立場での38日間の空白は反省しきりであるとともに、私自身も「癌」という病気と向き合った特別な経験だと思い返しています。その際は多くの方にご心配をいただき大変にありがとうございました。今はすっかり元気になりましたのでどうかご安心ください。
 また、1月から市立中学校、4月からは市立小学校の給食費の無償化を続けて行った成果が、訪ねていく夏のお祭りでハッキリと感じられたことです。
 私が会場内を歩いていると、子どもたちがたくさん寄ってきて「給食ありがと」「お母さんが違うところにお金が使えるって喜んでるよ」と言ってくれるのです。子育て世代に喜ばれる政策を実行して本当に良かったと実感した瞬間です。
 また同じように、第2子以降保育料無償化の後は、ベビーカーに子どもを乗せている若いお母さん方が嬉しそうに話しかけてくれます。
 7月にはカリフォルニア州ガーデナ市に60周年の記念訪問を行った年でもあります。長い間、歴代市長が大切に積み重ねてきた日本とアメリカの交流の絆を感じさせる大歓迎を受けました。
 最後は私の個人的なことですが、12月5日に母が他界しました。葬儀の際、多くの市民の皆様に弔問にいらしていただきありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
 来年は、市川市の市制施行90周年を迎え、今年よりもさらに忙しくなると思いますが、健康に留意し市民に喜ばれる政策を進めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

スポーツの力

令和5年12月2日号

 子どもの頃、父が時間を作りキャッチボールをしてくれたことは、今でも楽しい思い出として記憶に残っています。小学生時代、同級生との対抗戦では私のポジションはキャッチャーで、バッテリーを組んでいた友人は中学生までエースのピッチャーとして活躍したそうです。
 そんな私が今、市長としていろいろな催しに呼ばれる中、市川市少年野球連盟の活動は子どもたちの成長を見守る理想的な姿のように思います。会長の中嶋貞行さんは40年来のお付き合いで、利他の精神を持つ魅力的な方です。
 市川にお住まいの元プロ野球選手 小笠原道大さんを冠とした小笠原杯も開催され、先日開会式でご本人とお話をした際、子どもたちを思う気持ちの強さに感銘を受けました。また、中嶋会長はアメリカ大リーグで活躍する大谷翔平選手が日本の小学校にグローブをプレゼントすることをきっかけにして、さらに野球との出会いを子どもたちに作りたいと話をされています。
 市川市には1年生から4年生までの低学年で36チーム・5年生6年生の高学年のチームは38チームあり開会式の様子は壮観です。
 今では、チームの中に女の子の姿が多く見られ、中には4番を打っている子もいます。スポーツは身体を鍛えることはもちろん、物事に主体的に取り組み、また行動力を養うという効果があります。団体競技のチームワークの要素も子どもたちの成長には欠かすことができません。
 「子どもたちの未来が市川市の未来です」国府台球場も急いで整備を進めていますので、ますます多くの子どもたちの参加で市川市少年野球連盟が発展していくことを心から願っています。

ピンチをチャンスに!

令和5年11月18日号

 ちょうど1か月前(10月18日早朝)、市川市のごみ焼却炉にトラブルが発生し、その後ごみの焼却ができずにクリーンセンター周辺に平積み状態になったことは既にご承知だと思います。
 その後、千葉市、船橋市、浦安市、松戸市さらに習志野市がごみの焼却の協力をしてくださり、近日中に平積みのごみは解消できると思われます。
 協力してくださった自治体に心から感謝を申し上げます。
 しかし、今回のトラブルのようなことは二度と起こしてはならないことで、市川市としては生活基盤に関わる重大な問題として、第三者委員会を立ち上げ検証してもらうことといたしました。
 以前より、新しいクリーンセンターの建設を考えてきた市川市ですが、いろいろな理由によって先延ばしをして修繕を繰り返してきたことが老朽化した焼却炉のトラブルにつながっていると考えています。
 今しばらく市民の皆さまにはご迷惑、またご不安を与えてしまいますが、最善を尽くして対応してまいります。
 また、新しいクリーンセンターの建設に向けて、これからの市川市の資源回収のありかたを皆さんと共に作り上げていきたいと考えています。

市川市名誉市民

令和5年11月4日号

 昭和9年に市制施行された市川市は、来年90周年を迎えることになりますが、この間に東山魁夷画伯・初代市川市長の2名をはじめ、21名が名誉市民に選ばれています。
 ご存じの通り市川市には文化人や芸術家の方が多くお住まいになられ、この名誉市民の中にも芸術文化を代表する方々が13名おられます。また、学校法人を立ち上げて名誉市民になられている方が3名、そして政治家は前述の浮谷初代市長と高橋(※高橋ははしごだか)國雄市長が選ばれています。
 経済界からは地元信用金庫の理事長を務められていた蓜(はい)島正次氏1名で少々寂しさを感じます。
 平成16年に選ばれた中村勝五郎氏は味噌醸造業と経済人の一面もありますが、実はこの方が市川市誕生の立役者となったことは私以上の年代の方々はご存じのことかと思います。
 日展の理事長などを歴任された中山忠彦画伯は、平成26年に選ばれ現在もお元気でご活躍をされています。
 さて、90周年という節目に、10年間新しい選考がされていないということもあり、名誉市民検討会より進言をいただき、選考委員会で諮問をお願いしたいと考えています。できれば、市川市の経済界に大きな影響を与え、若手の人材を育成された方や、常に市川市のことを考え市川市民に誇りを与えてくれた方などを対象に検討を進めていただければと思っています。
 名誉市民21名の写真とプロフィールは、市川市のホームページや第1庁舎・第2庁舎・行徳支所にパネルとしても展示してありますので、いらした際にご覧いただければと思います。

1年間の通信簿

令和5年10月21日号

 私が市長に就任して1年半が過ぎた今年9月に、令和4年度決算報告が出されました。
 この決算報告は、市長に就任した私の採点表のようなもので、みなさんに公表しなければならない大切なものです。
 しかし、私が市長に就任した令和4年4月22日にはすでに、予算の骨格ができあがっており、その後補正予算を通じて現在の市川市に必要な政策を導入していったという経緯があります。
 市川市の歳入における特徴は、市税が約半分を占めており、市民のみなさんの税金によって支えられている点が本市の特徴と言えます。同じ不交付団体(財政力指数が高く安定した街)でも、浦安市のようにディズニーランドがあったり、成田市のように空港を持っている街とは違い、魅力ある本市を創りあげなければ、人口の減少とともに税収も減少してしまうことになってしまいます。
 そこで、歳出の項目の中で子育てしやすい街を目指して「教育費」では学校給食の無償化を、「民生費」では18歳までの医療費の助成や「赤ちゃん健やか応援給付金」などに取り組み、引き続き今年度は第二子(第一子の年齢を制限せず)保育料の無償化に取り組んでいます。
 これらの市政はかわることはありませんが、令和5年度は高齢者のための施策「ゴールドシニア75→」と題していろいろと取り組んでいきたいと思います。
 また今後必要とされる公共施設の建て替えなどの事業を進めるため、「総務費」の公共施設整備基金に45億円の基金を積み立て、スムーズに対応できるように準備をしておきました。
 最後に、歳入の市税項目から22億円のふるさと納税の流出があり市民サービスを充実していくうえで、少々痛手となっていることもお伝えしておきたいと思います。

賛否の意見を尊重しながら

令和5年10月7日号

 先月27日、令和5年9月市川市議会定例会が無事終了いたしました。
 この議会では、各会派の代表質問と23名の市議会議員から一般質問が行われ市内全体の課題について議論されました。特筆すべきは本年4月に初当選した、いわゆる新人議員11名のうち9名が一般質問で登壇し、積極的に質問する姿勢に感心したところです。
 具体的な内容は11月11日に発行される予定の「いちかわ市議会だより」をご覧いただければ詳細が掲載されておりますので、会派・議員の活動がよくわかると思います。
 ありがたいことに議案はほぼ全員賛成の形で議決されたのですが、この議会で全会一致の議決が得られなかった議案の一つに「議案第30号 市川市国民健康保険税条例の一部改正について」がありました。本市は国民健康保険税を9年間値上げしていなかったことなどで、近隣他市より低く抑えられているものの、物価高騰の中での議案提出は考慮されるべきだという意見が反対の理由です。
 しかしながら、国民健康保険制度を維持していくため国に負担増額を求め、低所得者についての値上げを最低限にとどめるよう努めていくことを約束し、議会の理解を得たところです。市民のみなさんにもご理解いただければありがたく思います。
 議会で意見が交わされたそれぞれの課題を市民目線で判断してまいりますが、議場では「福祉・保健関連の質問」や「学校教育に関する質問」、さらに「危機管理・消防に関する意見」が多く出されていました。そして、市川市特有の課題とも思われる「道路問題について」も多くの議員から発言があったことが特徴的だったといえます。
 これからも常に市民が喜ぶ施策を柱に、健康寿命を延伸しつつ、子育て世代に配慮したより多くの市民に理解される市川市のあり方を模索してまいりますので、折に触れてのご指導をどうぞよろしくお願いします。

いい湯だな

令和5年9月16日号

 昭和32年、今から66年前の市川のことを覚えている方は少ないかもしれませんが、私は南八幡にあったミヤコ湯という風呂屋の次男坊としてこの年に生まれました。
 市内には、お風呂屋が最も多いとき60カ所もあったのですが、今はご案内の通り5カ所に激減してしまっています。
 一時期の浴場はお客さんも多く大変賑わっていました。浴場組合には元市議会議員の松丸壽作さんや田中種治さんらがおられ、それぞれ公衆浴場を経営されていたことも記憶しています。
 子どもの頃からお客さんと混じって風呂屋によく入りに行ったのですが、そんなとき母は私に「一番川下のカラン(洗い場の蛇口)を使うんですよ」と言ったことを覚えています。
 お客さんに遠慮して石鹸水の流れるところを使えという意味だと子どもながらに分かっていました。
 昭和の後半に入ると市内全域で家風呂が増え、風呂屋の利用者がだんだんと少なくなってきました。経営していたミヤコ湯も平成元年に廃業いたしましたが、その後も浴場組合のみなさんとはお付き合いを続けています。
 思い出の一つとしては、浴場経営者のみなさんで作る野球部があったのですが、そのチーム名が「ワイターズ」という名前で全員が喜んでユニフォームを着ていた光景が思い出されます。
 銭湯に早い時間に行くと、大きなお風呂を貸し切ったような気分になれます。ぜひ入浴で免疫力を高め、健康寿命延伸につなげていただければ素晴らしいと思います。また銭湯は世代を超えた交流が持たれる場所でもあります。数少なくなったお風呂屋さんを本市は大切にしていきたいと思います。

あるものを生かして

令和5年9月2日号

 みなさんは本市の動植物園に行ったことがありますか。動植物園周辺は緑豊かな自然環境の中、動物たちがみなさんとお会いすることを楽しみにしています。
 今回の広報いちかわでは、その動物たちが主役となった「いちかわかるた」が完成したことを紹介していますが、市内全ての公立小学校の3年生にこのかるたをプレゼントさせていただきたいと思います。
 そして、かるたを友達や家族と楽しみながら、動物たちが紹介する市川の名所や旧跡、あるいは活躍した人物を知っていただき、本市の魅力を誰にでも話ができる人に成長してもらいたいと思うからです。
 本市の北部、大町にある市川市動植物園は、昭和62年8月にオープンして丸36年が経ちました。
 現在園には、オランウータンやホルスタイン、また、アルパカなどの大型動物をはじめ44種類の動物が飼育されています。いわゆる中型動物園として「動物とのふれあい」をテーマに、ゆったりとくつろいでいただける空間が広がっています。
水が大好きなカワウソたちは、職員が作ったレールの中を泳ぐ「流しカワウソ」が有名です。また、千葉市の風太くんと同じ時期、市川市動植物園のレッサーパンダも立ち姿を披露していたと聞いています。
 かるたには全ての動物の名前が入っています。かるたで楽しく学び、そして動物園で本物の動物たちと会ってみてはいかがでしょうか。

備えあれば二次災害なし

令和5年8月19日号

 お元気ですか。台風7号の被害が最小限にとどまることを願いつつ、原稿を書いています。
 今回の広報いちかわは、大規模災害の中でも地震に特化して市民のみなさんに情報を提供するものとなっています。
 28年前の阪神・淡路大震災では、地震の発生がさほど危惧されていなかった地域に直下型地震が発生し、6千人を超える多くの命が失われました。
 私も、ボランティアで現地に入り避難所を訪ねて、後に仮設住宅に泊まり込み、被災後の生活再建に向けての協力を行った経験があります。例えば、生命保険の支払期限の延期もその一つでした。
 東日本大震災に対しては、発生1カ月後に津波被害に遭った海岸沿いを視察してまいりました。引き潮後の広大な沼池と鼻を突くにおいを忘れることができません。
 この災害は、地震・津波・原発事故という複合的災害となり、ボランティアの活動も難しい側面があり、山形県からの援助活動となりました。千葉県においても、津波の被害を受けた海岸沿いの視察を行い、また隣接する浦安市では液状化の爪痕が長く続いたことは記憶に新しいところです。
 これらすべてにおいて共通して言えることは、災害が起きる前にいかに備えておくかということだと思います。本市では市内を4つの区域に分け「減災マップ」を作成しています。このマップには、避難所の地図をはじめ正しい情報を知るための入手方法や家族と連絡を取り合う手段が記載されています。消防局4階にある地域防災課をはじめ、市役所・支所・出張所や行政サービスセンター、公民館などで配布していますので、家庭に一部お持ちになることをお勧めします。
 また、地域の防災リーダーを養成することにも力を入れ、各小学校区において講習を行いますので、呼びかけにお応えいただければありがたく思います。
 本市におけるみなさんの地域の災害が最小限にとどめられ、二次災害を引き起こすことがないように、本市も万全の備えを進めてまいります。

世代をこえて、市民のために

令和5年8月5日号

 30代から40代後半まで国会議員を務めていた私は、自らの政策の柱として「命を守る政治」という目標を掲げて活動をしていました。アフガニスタンの戦災孤児を救済する活動や、人類の最大の課題ともいえる核軍縮のためにフランスの核実験反対の抗議行動として海外に出向いて行ったこともありました。
 現在市川市の市長として、市民生活の充実を考えるための基本も全く同様で、子どもたちの未来が市川市の未来に繋がっていると確信しています。ですから、市川市で成長していく子どもたちに「チャンスの平等」というものを常に考えて、みなさんからお預かりしている税金の使い方を判断しています。
 健康な身体を作るために、小学校・中学校という成長期にしっかりと栄養を摂ることができるように給食を無償化することを議会の議決を得て実施することができました。
 さらに、中学生までだった医療費の助成を高校生までに拡大し、健康な基礎体力を作るときに妨げになる病気を克服してもらいたいと思っています。
 直近では、6月の議会で第2子以降の保育料を無償化する議案について、議会の議決を得ることができました。この無償化は第1子の年齢制限と所得の制限を設けないという制度にしてあります。
 これらの施策は、現在の物価高騰の中での生活の助成ということももちろん考えていますが、若いお父さんお母さんにぜひ市川市で充実した子育てをしていただきたいという思いからです。これからも、子育て支援を充実させてまいりますので、楽しみにしていただきたいと思います。
 そして次に、私が考えている施策は高齢者のみなさん方に楽しんで活躍していただける市川市を目指していきたいというものです。
 75歳以上の方を後期高齢者と呼びますが、市川市ではゴールドシニアと称していろいろな施策を展開していく予定です。
 シニアとは尊敬する人、さらにゴールドをつけて高齢者を大切にする市川市を目指していきたいと思います。その姿が、市川市が掲げる「健康寿命日本一」に繋がることを心から願っています。

街の鍵

令和5年7月15日号

 どうやら、アメリカの都市には街の扉を開ける鍵というものが存在するらしい。
 姉妹都市締結60周年を記念して今月初旬、カリフォルニア州、ガーデナ市への訪問が行われたのだが、出かける間際に、60年前にガーデナ市を訪問した際、時の市長から鍵をいただいたと言う方から連絡をもらった。「この鍵を持っていかないとガーデナ市への公式訪問にはならない」と言うのだ。
 2日成田より10時間かけてのフライトの後ロサンゼルス空港に到着。3泊5日の公式訪問が始まった。公式訪問団は私のほか、市議会稲葉議長、文化国際部長・課長・副主幹、そして議会事務局長の6名。
 ガーデナ市はロサンゼルスから南に約20キロメートルに位置する人口約6万人の小さな街だが、市川と60年以上前から様々なご縁がつながり姉妹都市の締結を行った経緯がある。
 昼は簡単な歓迎レセプション、夜には日本から来た市民団と合流し、歓迎夕食会でターシャ・セルダ市長にガーデナの鍵をお見せした後、お互いに「姉妹都市締結60周年記念の決議書」を交わし大きな拍手に包まれた。
 翌日はガーデナ市庁舎を表敬訪問、議場に案内されると、なんと、セルダ市長から用意されていた「新しい市の鍵」を手渡されたのだ。市川市の事はいつでも歓迎すると言う意味なのだろうか。しかし市川市側が市川の鍵を用意すると言う事はない。文化や国の成り立ちの違いかもしれない。
 その後、市で経営する電気バス事業の見学、市警察等の視察を行った。スピード感のあるカーボンニュートラルの推進は市川市も見習わなければならないだろう。更に、市で警察を持ち「自分たちの街は自分達で守る」意識がひしひしと伝わってきた。
プライドを持った消防士とも交流を図ることができた。
 最終日の4日は、アメリカの独立記念日。夜はガーデナ市による市民のための花火大会が催されたのだが、市警察が警備体制をしっかりと固めていた。
 その時、私はハッと気がついた。市民という家族を守るために市の鍵を常にかけているのだと。

ふるさとは市川

令和5年7月1日号

 ご存じのことと思いますが、「ふるさと納税」は生まれ育った故郷や応援したい自治体へ寄付ができる制度として平成20年に創設されましたが、15年が経過しかなり定着してきました。
 手続きをすると、寄付金のうち、2,000円を超える部分については所得税の還付や住民税の控除を受けられます。また、寄付金の使い道を指定したり、地域の名産品などの返礼品を受け取ることができるため、利用されている方もたくさんいるのではないでしょうか。
 本市への「ふるさと納税」の実績は、令和3年度で約2,100万円、令和4年度で約1,800万円となっています。本市では、市川ブランドの梨や三番瀬海苔など、人気の返礼品を用意し、市外のみなさんにも応援していただけるように努力しているのですが、市民のみなさんが本市に行う寄付に対しては、返礼品を受け取ることができませんので、他の自治体へ「ふるさと納税」して、さらに返礼品も楽しみに選択がされるわけです。
 しかしそれによって大きな問題が起き、子育てや高齢者への施策などに本市で使われるべき税金が他の自治体に流出してしまうこととなっています。具体的には、市川市民のみなさんが「ふるさと納税」をすることにより失われた市民税の金額が令和3年度で
約17億6,000万円、令和4年度で約22億円となっており、これは令和4年度の市民税の減額が全国で35番目に多い市となっています。
 魅力ある施策を実現するための貴重な財源は、みなさんから預かる税金です。
 ご家族やお子さんの住む市川市をもっとよくしたい想いで、全力で市政運営に取り組んでまいりますので、「子どもたちのふるさと市川」をともに考えていただければありがたい限りです。

国際交流の輪

令和5年6月17日号

 米国のチアダンスの大会で市川に活動拠点をもつ★SHINING★PLANETS★の中高生のチームが「THE DANCE WORLDS 2023」で世界第3位、そして中学生のチームが「THE DANCE SUMMIT 2023」で世界第2位という輝かしい成績を収められました。
 今月、参加した選手と指導者の方が結果報告のために市役所を訪れました。
 「さらに上位を目指している」というみなさんの姿は頼もしい限りです。
 また、市内のサッカーチームにおいてもドイツやブラジルへの遠征を定期的に行い、スポーツの交流を続けています。
 さて、市民のみなさんもコロナ禍で海外に行くことが難しかったその反動で、どこかへ出かけたいという気持ちをお持ちになっているのではないでしょうか。
 今回の広報いちかわは国際交流がひとつのテーマになっております。紙面でも紹介しているとおり、市川が最も早く姉妹都市を結んだアメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ市では60周年の記念式典を行うことになり、7月初旬に訪問する予定でいます。
 この姉妹都市の締結は、両市のロータリークラブが姉妹組織となったことがきっかけで、後に他の団体でも民間交流が行われ、華道や琴演奏など文化交流も盛んに行われてきました。
 次に、中華人民共和国四川省楽山市と友好都市を、続いてインドネシア共和国北スマトラ州メダン市と姉妹都市を締結しました。楽山市とは、出身文学者でもある郭沫若氏が須和田で生活していたことが締結に繋がっており、メダン市は元市長の高橋(※高ははしごだか)國雄氏が戦時中の実体験を平和の交流に繋げたいという想いから締結したと聞いております。
 パートナーシティでは、ドイツ連邦共和国のバイエルン州ローゼンハイム市と少年サッカーチームの交流や故東山画伯が滞在していたことから締結され、その後、フランス共和国イル・ド・フランス地域圏イッシー・レ・ムリノー市とは行徳神輿(みこし)を紹介するなど、文化・芸術面で交流が行われています。
 このほかにも、行政間交流などが行われていますが、これからはさらに国際交流を積極的に進めていく時代が訪れることは間違いありません。
 市川市は「市民と行政が一体」となって国際交流の機会を作っていきたいと考えています。

今年度もタウンミーティングを開催いたします

令和5年6月3日号

 令和4年度は、市川市内で14に区割りされている自治会連合協議会のみなさんとタウンミーティングを開催しました。参加されたみなさんの意見は多岐にわたり、地域の問題点を認識することができたと成果を実感しているところです。もちろん、その声に応えて行政が対応しなければ何の意味もありませんので、その点はできることから迅速に対応しているところです。

 さて、令和5年度は、4つのタウンミーティングを開催する予定で準備を進めています。
 自治会の役員と同じように、あるいはさらに詳しくまちの問題を把握しているのは民生委員・児童委員であると私は感じています。ですから、民生委員・児童委員のみなさんと市民生活の実態を確認するためのタウンミーティングを開催したいと思っています。おそらく、細やかな生活の問題点が浮き彫りになってくるでしょう。
 次に、子ども会育成会連絡協議会とのタウンミーティングです。児童委員のみなさんとオーバーラップする点はあるかと思いますが、私たちの市川市で成長する子どもたちの実態の把握から地域での活動まで、広範囲にわたるできごとやそれに伴う問題点を把握されているはずです。ぜひ、市役所が認識しなければならないことを直接聴かせていただきたいと思います。この会議は6月中に行う予定となっています。
 3点目は、市議会の議場を活用し、小学生による児童議会を開催したいと思っています。市議会開催時と同様に、現在の市の幹部が全員出席し、子どもたちから市川市に対する質問や要望を聞かせてもらうのが、この児童議会の趣旨です。市議会休会中の8月19日(土)に開催を予定していますので、関係者やご家族の方にも傍聴席にいらしていただければと思います。
 4点目は、本年度から始まるカーボンニュートラル推進事業に関して、カーボンニュートラル推進課を新設し、市民のみなさんがどのような意見やアイデアをお持ちなのか、政策参与として就任した平田仁子(きみこ)さんとともに意見交換をする形で開催いたします。全日警ホールで10月14日(土)を予定しておりますので、関心のある市民の方にご出席をいただければ大変うれしく思います。
 これらのタウンミーティングについては、市公式Webサイトに掲載して呼びかけてまいりますので、ご覧いただければ幸いです。

買い物がオトク 健康でさらにオトク

令和5年5月20日号

 今回はこれから市川市が始めるデジタル地域通貨についてお話しをしたいと思います。
 このデジタル地域通貨「ICHICO(イチコ)」は、3年4カ月にわたるコロナ禍によって停滞した市内の消費を喚起し、実証実験をスタートとして市内の経済活性化を目的として行うものです。
 参加してくれる市民のみなさんにチャージ金額(上限あり)の30パーセント分のポイントを付与し、魅力を持たせると同時に、個人で経営する商店をはじめ、参加をしてくれる商店の販売力を高め、市民にも商店にも喜んでもらいたいと考えています。
 今回は八幡の南北の商店街を中心とした実証実験ですが、この成果を検証することにより、市内のより多くの商店街に手を挙げていただき、広範囲にこの成果を広げていければと願っています。
 また、このデジタル地域通貨には経済の活性化のみならず、市川市民の健康増進のため、いわば「健康寿命日本一」をさらにバックアップする目的も含まれています。登録してもらった市民の方が歩いた歩数に応じて「Aruco(アルコ)」ポイントが加算され、そのポイントは買い物のできるICHICOに交換されるという仕組みです。
 また、市内20カ所に設置された体組成計や血圧計で測定していただき、例えば毎日10,000歩あるき健康の増進を図った市民の方は1年間で5,000ポイントが付与され、最大5,000円分のICHICOに交換できます。
 健康講演会や江戸川クリーン作戦への参加、自治(町)会新規加入、運転免許自主返納などもICHICOに交換できるポイント取得項目としています。
 しかしながら、まだまだPRが十分とはいえず、実証実験区域の商店の数が150店舗前後ですが、さらに参加店舗を増やし、市民の参加を呼びかけるために、私も駅前に立ち呼びかけを行っています。みなさんの参加をお待ちしています。

新たな決意

令和5年5月6日号

市民のみなさんお元気ですか。
 「健康寿命日本一」を目指すと発言している私自身が入院してしまい随分と心配をかけてしまいましたが、現在は元気に公務に復帰しております。少々大げさに聞こえるかもしれませんが、入院中「この命が続く限り市川市を住みやすい街にするために全力で働く」と、改めて決心してまいりました。
 もう40年近く前の話ですが、27歳の私は東海道五十三次を歩いて旅をした事があります。すでに(一社)市川青年会議所でボランティア活動を行い、良い先輩や仲間たちがたくさんいたのですが、もっと社会の役に立つ自分の人生をどのように作り上げるべきかと考え挑戦したのです。
 日本の道路の起点となっている日本橋の日本国道路元標を4月15日にスタートし、寄り道しながら歩行距離753キロメートル23日間のドラマが始まりました。東京・品川を通り初日は横浜東口まで、いろいろな人に出会い、宿を探しながら神奈川県では箱根路を越え、静岡県に入ってからは海岸線を歩いて愛知県に。伊良湖からはフェリーで鳥羽に渡る計画を立て、渥美半島の真っすぐな道を歩いているその途中に、私の人生を大きく左右する出来事が起きたのです。
 近づいていく私のことを珍しそうに眺めていたステテコ姿の初老の男性に、案の定呼び止められ「おい 若いのどこに行くんだ」戸惑いながら、「はい、いろいろな街を自分の足で歩き、自分の目でこの国の姿を見ています」そう答えると、無理やり台所と一間の家に通され、みかんをちぎって出されたのですが、その時ハッと男性の手に指がないことに気が付いたのです。ご本人は事故で障がい者となったいきさつを話し、歩行可能距離20メートルと書かれた障害者手帳を見せてくれました。そして「俺の代わりに最後まで歩いてくれ そして日本のためになる人になってくれよ」と、一筋の光を見出したように喜んでくれ、そして、何度も振り返る私のことを、いつまでもその人はうなずきながら見送ってくれたのです。
 足のまめが潰れて痛い事など問題にならない程、歩けることのありがたさを感じ、いただいた半分のみかんを一房ひとふさ、涙を流しながら丁寧に食べたことが、私が政治家になる原点になったのです。
 今回の入院はそのことを鮮明に思い出させてくれました。次の時代を担う子どもたちの成長を支える事はもちろん、障がいを持たれている方や、格差の中で生活に苦しんでいる方にもしっかりと目を向けて市政運営を行っていきたいと思います。
 みなさんの声を聞き、最善を尽くしてまいりますので、今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

市民参加は投票から

令和5年4月15日号

 今月は、市川市で既に終了した千葉県議会議員一般選挙、続いて衆議院小選挙区(千葉県第5区)選出議員補欠選挙、市川市議会議員一般選挙と3つの選挙が執行されることになります。「投票は有権者の権利であり、平和の象徴でもあります」
そこで今回は過去の選挙の投票率を振り返り、市民のみなさんと共有しておきたいと思います。昨年7月に行われた参議院議員通常選挙の全国投票率は52.05パーセントでしたが、市川市内の投票率は50.02パーセントで、市川市は全国平均よりも低く、約2人に1人が投票をされないという結果でした。また、令和4年3月に執行された前回の市川市長選挙の投票率は38.75パーセント、平成31年4月執行の4年前の市川市議会議員一般選挙の投票率は33.23パーセントと、約3人に2人が投票所に足を運ばなかったという事実があります。
 投票率の向上については、有権者であるみなさんが市政のことを考え、自ら行動することで市川市の未来が変わると想像を膨らませ、「自分の代わりに誰を選ぶか」という考え方が大切だと思います。市川市議会は、条例の制定・改正、予算の決定などの権限が付与されている唯一の議決機関であり、市議会と市長は両輪で市川市の二元代表制を成しています。すなわち42名を選ぶ市川市議会議員一般選挙も市民を代表する人物を市川市民が選ぶ選挙なのです。どうか投票を棄権せず、有権者一人ひとりが投票という形で市川市政に参加していただき、さらに市川市に関心を持っていただければ素晴らしいと思っています。

新年度に思うこと

令和5年4月1日号

春の訪れとともに新年度を迎え、市川市も新たなスタートを切ることになります。
 3月7日に令和5年度予算案も市議会議員全員の賛成で成立いたしました。これもひとえに職員の努力と議員各位の理解のおかげと心から感謝をしております。
 さて、就任してからの約1年を振り返りますと、この間、市民の皆様となるべく多くお会いする機会を求め、また、市議会議員や職員との人間関係を大切にしながら、スピード感のある市政運営が実行できたのではないかと思っています。
 そのような中で常に感じていたことが二点ありました。一点目は、コロナ禍で保健所の重要性が再認識された今こそ、市民の保健衛生の環境を高めるために東京に隣接している本市の都市制度を改めて考え直す時期を迎えているのではないかということ
です。このことについては4月23日に市民から選ばれる市議会議員の皆さんと共に議論を深めてまいりたいと思います。
 二点目は、気候変動に対する具体的な対策を市川市が行っているかということです。これには国、県と協力をして進めていかなければなりませんが、幸いにもゼロカーボン事業に成功している千葉商科大学と連携を図る市川市は大変に心強く、さらに世界的に活躍をされる環境問題の専門家、平田仁子さんに市川市の政策参与に就任をしていただいているところです。現場主義で市民の声を聞き、メッセージをまとめていきたいと思います。
 今年は千葉県が生まれてから150年目にあたります。また来年は市川市制施行90年を迎えるなど、新たな発展を市民の皆さんと共に創造してまいりたいと思います。令和5年度もどうぞよろしくお願いいたします。

一病息災

令和5年3月18日号

 3月6日(月)の朝、軽いふらつきで貧血状態になった私は、大事を取って健康診断を行うため大学病院に向かわせてもらいました。
 病院では入院して細かく検査をすべきだとのドクターの判断が出されたのですが、翌日7日は2月の市議会定例会の中でも令和5年度の予算の採決が行われる重要な日です。そんなわけで検査入院することを躊躇していた私ですが、病院側から健康状態を優先してもらいたいとの言葉を受け、私自身も冷静に判断いたしました。
 病室に案内されると、なんとその部屋には市川市と縁の深い東山魁夷画伯の絵が飾られ、このような病室に案内されるのもまた、必然なのかもしれないと感じたのです。
 検査の結果については、時機を見て私自身から説明をする機会を作りたいと思っています。
 振り返れば4年間、捲土重来を期し日々の活動を続け、市長に就任してからは、更にスケジュールとルーティーンの中に身を置き、忙しすぎたのも事実でした。
 食べ物を口にすることができず、24時間点滴をつけっぱなしの状態は、つらいことです。口から入れてよいものは水かポカリスエットだけなのですから。ご想像のとおり、次は胃の内視鏡検査があります。
 インターネット議会中継で病室から市長の席が空席になっている議場を見ながら、市議会議員の一般質問を聞くというようなことは想像もしていませんでした。重要な議会に欠席届を出すのは議員の皆様方に申し訳なく、また市民の皆様に対しても心からお詫びを申し上げる次第です。
 必ず健康を取り戻し、今まで以上に市長という重責を担っていかなければならないと眦(まなじり)を決する覚悟でおります。

春の雪

令和5年3月4日号

 53年前の今日(3月4日)は大雪だったことを覚えていらっしゃるでしょうか。もちろん、若い方々は知る由もありませんが。
 私はそのとき小学6年生で、ちょうど中学受験が終わりほっとしていた朝の光景は一面真っ白な市川の景色でした。隣の部屋から話しかけてきた姉が、何を言っているかもうまく聞き取れなかったその内容は、私が人生で初めて体験した身内との別れでした。
 私の祖父である田中幸之助は明治24年生まれ、享年79歳でその日他界したのですが、私が政治家になる大きなきっかけを与えてくれた人でした。
 祖父は、戦前は南行徳町の町議会議員を2期務め、戦後の昭和22年に初めて行われた統一地方選挙で東葛飾郡の県議会議員として選ばれ、昭和30年までの2期を務めました。のちに建設大臣になった始関伊平氏の応援を最後に政界からは身を引いたのですが、その後南行徳地域の区画整理組合の理事長を務め、都市整備と帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)と交渉を進め、東西線の誘致を行ったのです。
 私は昭和32年生まれですから、その後の祖父の新しいまちを作るエネルギッシュな姿や千葉県内の海岸線から天然ガスを発掘しようとする実業家の一面をみるにつけ、明治生まれの男性のスケールの大きさを学んだような気がしています。
 私が30歳で政治家になったのは、この祖父の存在が大きく影響していることは間違いありません。先人の姿を見習い、市川市の将来を考えた街づくりを力強く進めて行きたいと思います。

令和5年度一般会計当初予算

令和5年2月18日号

 2月の市議会定例会は今月の15日に開会し、私の「施政方針」に続いて教育長の「教育行政運営方針」さらに私が「提案理由の説明」を読み上げるという形でスタートいたしました。この提案理由の説明の中に、令和5年度の一般会計当初予算が含まれています。
 今回はその主な事業内容についてお話ししたいと思います。
 時期は少し遡りますが、昨年の10月、来年度の予算は生活基盤づくりの課題を解決するため、各部で義務的な経費以外をマイナス5%シーリングによって予算の捻出をお願いした経緯がありました。また、優先すべき事業はなんなのかを絞り込み、「選択と集中」を進めたのです。
 その結果、全部署の協力により12億円が捻出され、新規事業等の見直しで35億円が充当されることとなりました。具体的には、学校給食の無償化、クリーンセンターの建て替えのための積立、斎場整備事業をはじめとする公共施設の整備のための財源確保です。
 同時に、タウンミーティングなどでいただいておりました市民に密着した課題を解決するために、公園の定期的除草、樹木の剪定、避難場所の整備、コミュニティバスの充実をはじめとする高齢者への配慮など、要望に応えてまいります。
 「市本」の廃止には賛否がございましたが、運営費であった年間3000万円の予算を充てるなどして、高校生以下の自転車駐輪場使用料の減免も行います。

脱兎のごとく

令和5年2月4日号

 2023年(令和5年)の新年賀詞交歓会が行われる中、市議会議員との懇親会の席で、「市長は少し急ぎすぎですね。もう少しゆっくりと物事に対応したらいかがですか。」と言われる場面がありました。
 「そうでしょうか」と返事をしたものの、私は強く心の中で否定していました。
 そもそも私が昨年4月22日に市長に就任した際、市民からの信頼を取り戻すと市の職員と約束をしてスタートしたのですから、9か月目を迎えているところで、課題を先送りしてゆっくりと対応するという考えは私には持てないのです。
 「市民目線」「現場主義」を機会あるごとに発言し、具体的にはタウンミーティングを行い、これからもスピーディーな対応を心がけていきたいと思います。
 現在、2月市議会定例会で表明する「施政方針」を作成中ですが、限られた予算の中でやらなければならないことが山積していることを改めて認識しています。
 また、予算の編成も就任して初めてのことであり、皆さんからお預かりした税金をもとに作り上げ、以前からのお約束の通り「市民が喜ぶことをする」をモットーに期待される令和5年度の当初予算を仕上げなければなりません。
 いずれは、持続可能な市川市政を作り上げ、安定した市政運営を行っていきたいと思っていますが、現段階において社会的基盤の整備や身近な公共料金の値下げ、公園の清掃や草刈りなど、やらなければならないことがたくさんある中で、スピードを緩めるということはあり得ません。それどころか、さらに市職員との人間関係を円滑にして、市民の要望に対応する市役所の体制づくりに向け、スピードアップをしていかなければならないと考えています。

新春のご挨拶

令和5年1月1日号

 明けましておめでとうございます。
 市川市長の田中甲です。
 市民の皆様におかれましては、癸卯(みずのと・う)の清々しい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。私の年明けは、元旦マラソンに参加し市民の皆様方との交流から始まります。
 さて、昨年を振り返ると、新型コロナウイルス感染症や国際情勢の悪化による食料等の物価高騰など、日常生活に関わる課題が立ち塞がり厳しい年でありましたが、本年も気を許すことができない状況が続くことになりそうです。
 そんな中ですが、私の基本姿勢はシンプルで「市民が喜ぶことを行う」という事ですから、皆様からお預かりしている税金を無駄にすることなく、しっかりと市民の声に応えていきたいと思っています。
 いよいよ、市立中学校などで1月から給食費の無償化がスタートします。さらに、年度が変わり、4月からは市立小学校の給食費無償化も始まることとなります。私も生徒と一緒に給食を食べたいと思っています。
 また、昨年の秋から始めてきたタウンミーティングは、これまでに市内10カ所の会場で開催され、自治会長さんをはじめ皆様から、生活に直結する様々な課題を聞かせていただき、大変有意義だと思っております。
 これからも、市民の皆様の笑顔を少しでも多くしていくために、「市民目線」と「現場主義」を貫きながら、市政運営のかじ取りを全力で行ってまいります。
 本年が市民の皆様にとりまして、健康で充実した一年となります様、心からご祈念を申し上げ新春のご挨拶と致します。

衆議院小選挙区の改正

令和4年12月17日号

 もうすでに新聞等でご承知かと思いますが、衆議院小選挙区の区割り変更についての報告がなされました。
 そもそも、飛び地を認めていない現行制度の中では、浦安市(約16万9千人)と隣接する市川市は、(人口約60万人で一つの選挙区をつくる事になると)どうしても分断されてしまう状況になってしまうのです。
 しかし、このほどの区割りは、分割された船橋市の一部と市川市の一部が新4区をつくるということで、市川市の該当する区域は、今まで松戸市と6区を形成していた場所に鬼越、鬼高、高石神、中山、若宮、北方、本北方、北方町4丁目が加わることとなります。
 市川市を考える私の立場としては、市民の方々が今回の区割り改正によって、6区から4区へと変更され、新たな候補者に投票するということになるわけで、市民と政治との関係というものを軽んじられているように思えてなりません。
 現段階では、第4区に誰が立候補するかも分からない状況です。
 制度の改正で市民の戸惑いはもちろんですが、行政で行う仕事のなかにも、千葉県との関わり、国との連携が欠かせないということは言うまでもありません。国政での選挙区が変更されることによって、住民サービスに停滞をおこさないように鋭意努力し、務めてまいります。

12月市川市議会定例会を迎え

令和4年12月3日号

令和4年12月市川市議会定例会は、先月21日に招集し、今月の2日に開会いたしました。議会は代表質問から始まり、その後各常任委員会が開催されます。委員長報告後は各議員からの一般質問が行われ、質問者の数によりますが、予定では19日の閉会となっています。議会の様子は市役所の公式Webサイトから確認できますので、関心をお持ちいただければうれしく思います。
 審議される内容は、12月補正予算をはじめ多岐にわたりますが、その中でも特筆すべき内容は「赤ちゃん健やか応援給付金の支給について」「こどもの医療費助成の拡充(18歳まで)について」「デジタル地域通貨の導入について」「新型コロナウイルスワクチン健康被害見舞金の支給について」「小学校屋内運動場及び学校給食室の冷暖房設備の整備について」などが審議される予定です。さらに、「ぴあぱーく妙典」公園エリアの一部オープンについても報告をしたいと思っています。
 これらの政策をみていただいてもお分かりだと思いますが、市川市を子育てしやすいまちにしていくため、赤ちゃんから高校生に至るまでの環境整備に重点を置いて政策を立案しているところであります。
 もちろん、健康寿命日本一の政策も忘れてはいません。誰一人取り残すことのない市川市を目指し、市民に喜ばれる市政運営をこれからも心掛けてまいります。

市制施行88年

令和4年11月19日号

 11月3日の文化の日に「いちかわ市民まつり」を大洲防災公園で開催したことは、多くの市民の方々がご存じだと思います。その会場の一角で、広報紙でも紹介した「いちかわ検定初級」を実施いたしました。その目的は、より多くの市民の皆さんに市川市の魅力を知ってもらい、住んでいる街への愛着を深めてもらうことです。初級編を作るにあたり、市川市内の広域にわたる問題を作ってみました。皆さんはもうやりましたか。先日、タレントの小堺一機さんとお会いした際に真間小学校出身だということを聞き、いちかわ検定の話をしたところ大変興味を持ってくれました。上級編にもぜひ挑戦したいということでしたので、楽しみにしています。
 行徳地域で行われた「行徳神社めぐり」も大変賑わっていました。特に行徳は神輿のまちで、うっかりすると「市長も一緒に神輿を担ぎましょう」と言われてしまいます。その時は楽しいのですが、後に筋肉痛になることは言うまでもありません。
 ニッケコルトンプラザでの「いちかわドイツデイ2022」や道の駅いちかわでの「南イタリア カゼルタフェア」も盛況で、
市民の皆さんに1日楽しんでいただけたかと思っています。また、各会場を繋ぐ無料の巡回バスも好評で、たくさんの方が利用してくれたようです。
 日が暮れて、市制施行88年の祝砲として約2分間の短い花火を打ち上げたのですがお気づきになられたでしょうか。これからもコロナ感染に注意しながら、まちの魅力をさらに作り出し、皆さんに喜んでもらえる施策を行っていきたいと思っています。

市民のために、市川市の未来のために

令和4年11月5日号

 市川市役所内では、すでに令和5年度の当初予算編成が進められています。
 先月、市長名で令和5年度予算編成方針を発表し、来年度の重要項目と方針を各部へ通知いたしました。この方針は、来年度の予算はもちろんですが、5年後・10年後の財政見通しも勘案された、持続可能な市川市政を作るものにしていかなければなりません。具体的に申し上げますと、先送りし続けてきた「クリーンセンター」「斎場」の建て替えという市民生活の基盤整備を行いつつ、すでにお伝えしている給食費の無償化や福祉・医療に配慮してまいります。市川市はこの間、高額な予算が必要となることを理由に「クリーンセンター」「斎場」の建て替えを先送りしてきたといわれても仕方ありません。そこで、来年度一般会計の予算規模は維持しつつ、各部の事業予算のうち義務的経費を除いたマイナス5%シーリングで要求してもらうことをお願いしました。25部ある各部は、市民の要望にしっかりと応える姿勢を持ち、無駄を省き、優先順位を立てるなか、前年度の95パーセントで事業運営を着実に進めてもらいたいと考えています。その間、その他の大規模事業は十分に協議し検討したうえでないと実施は難しく、同様に高額な土地の購入も抑制していかなければならないと思っております。期間は3年間と考えています。
 将来をしっかりと見据えたうえで、誰一人取り残すことのない住民サービスの充実に取り組んでまいりますので、市民の皆さんのご理解を心からお願い申し上げます。

来年度の予算編成やタウンミーティングについて

令和4年10月15日号

 9月の市議会が終わると、来年度の予算編成が始まります。まずは令和5年度の施政方針を作るために、この先5年間10年間の財政状況を分析します。
本市の場合は市民生活の基盤となる重要な公共施設の整備あるいは建て替えが先送りされてきています。例えばクリーンセンターや、斎場の建て替えがそれにあたります。そしてその費用はこれから大きく財政を圧迫することが容易に想像できたものですが、どういうわけか真剣に議論されず宿題となっていました。 比較的財源が豊かで不交付団体(国から普通交付税を受け取らない団体)となる本市なのですが、下水道の普及率は76.8パーセントと文化都市とは言い難い基盤整備の状況です。令和5年度、就任して2年目の
私はこれらの問題に果敢に取り組んでいかなければなりません。話は変わりますが、タウンミーティングがスタートしました。今年度中に14ブロックに分けて自治会の皆さん方とお話し合いを行って参ります。生活に密着した地域の問題を、地方自治の基盤を支えてくださる自治会長さんはじめ、市民の皆さんからお聞きする事は、大変良い機会だと思っています。「聞く力」だけではなく「実行して」期待に応える市政運営を、市が一体となり進めてまいりたいと思います。

就任から160日

令和4年10月1日号

 9月28日で市長就任160日を迎えました。この間、6月・9月市議会定例会が行われましたが、提出した議案はすべて採択され「ホッ」と胸をなで下ろしているところです。
 また、部長をはじめとする幹部職員と意思の統一を図るため、85回の朝礼を行ってきたところでもあります。
 市川市は、今年度の重要政策を健康寿命日本一・給食費の無償化・18歳までの医療費助成・デジタル地域通貨・カーボンニュートラル・水辺のまちづくりの6項目に絞り込み、折り返し地点を迎えました。
 しかし、最大の課題は人口問題です。過去5年間の本市の人口の流入流出差をみてまいりますと、令和2年まで人口は微増していたのですが、令和3年において減少に転じ、50万人に届かず停滞しています。
 その最たる要因は、子育て世代が(市川市より)都心から離れて住宅の広さを求めることがうかがえます。一方で、単身者は引き続き増加しており、特に若い女性(15歳~29歳)が首都圏でも最も増加しているという結果が出ています。
本市の子育て環境を評価し、文化都市市川の中でこどもを育てていきたいと思ってもらえるまちにしていかなければなりません。
その努力は、本市の環境改善に繋(つな)がることと信じて疑わないところです。

9月議会について

令和4年9月17日号

 今月の2日から開会された市川市議会は、30日金曜日の決算審査特別委員会の委員長報告を受けて閉会する予定となっています。
 重要案件として、「市川市学校給食の実施及び学校給食費の管理に関する条例の一部改正について」は、令和5年1月から中学校の給食費を無償化し、令和5年度からは小学校・中学校とも給食費を無償化にするという議案です。
 予算では17億7千万円が費やされることになりますが、こどもたちの健全な育成と公平な社会環境を作るために、教育委員会と力を合わせ実行したいと思っています。
 2点目は、「市川市下水道条例の一部改正について」ですが、下水道の独立採算のバランスが取れなくなっている現状で、一般会計の補填(ほてん)額が5年間で年平均4億円と広がっています。
 30立方メートルまでのご家庭では缶ジュース以下の値上がりですので、市民・議員の皆さん方にご理解をいただけるようお願いをするところです。
 どうぞよろしくお願いいたします。

市長ってどんな人

令和4年9月3日号

【趣味】
水泳・スポーツ観戦
古事記・日本書紀から学ぶ言霊研究
【好きなフルーツ】
【好きな色】
ブルー・パープル
【リラックス方法】
氷を入れたワインを飲むこと
【座右の銘】
為政清明
【息抜きの方法】
犬との会話
【信条】
大を恐れず 小を侮らず
【尊敬する人物】
【影響を受けた歴史上の人物】
伊能忠敬・高杉晋作
【市川で好きな場所】
家庭・動植物園
【好きな食べ物】
昔はメロンパン 今はなまこ酢
【好きなテレビ】
開運 なんでも鑑定団

核兵器廃絶平和都市宣言

令和4年8月20日号

終戦から77年を迎える本年ほど、多くの世代が平和の尊さを感じる年はないのではないでしょうか。ロシアのウクライナ侵攻、また、台湾・中国間の問題が憂慮される中、日々の生活が守られることが平和のうえに成り立っていることを改めて感じるからです。
 今年の8月15日も、私は日本武道館において行われた全国戦没者追悼式に出席をしてまいりました。翌16日には、市川市役所第1庁舎のファンクションルームで、市川市における追悼献花式を催した次第です。
 本市は1984年に「核兵器廃絶平和都市宣言」を行い、核の廃絶に向けての声をあげています。2022年に起きた国際紛争が、間違っても核を使用することがないように、戦闘による唯一の被爆国日本として具体的な行動を起こしていかなければならないと思っています。これからも、市民一人ひとりの生活を守り、生きがいと夢の持てる市川市を目指し、全力で務めてまいります。

真間川の船上視察について

令和4年8月6日号

真間川は、春には綺麗な桜並木が川の沿道をうめ、桜の名所として大変親しまれている場所です。
しかし、水質の状態は決して良好とはいえず、親しみを持てる川の状況に改善をしていかなければなりません。
7月22日、私は関係部署の職員とともにボートに乗り、真間川の視察をいたしました。消防局の職員から現場の状況を聞きながら1時間半ほどかけ、真間川の状況を確認する中で、今後は千葉県とも話し合いを行い、環境整備を進めていかなければならないと感じました。
「市民目線」「現場主義」をかかげ、これからも市民の声を聞き、実行に移しさまざまな改善を進めていきたいと考えています。

カーボン・ニュートラル先進校とタッグを

令和4年7月16日号

自然エネルギー100%大学」への取り組みを進めている千葉商科大学の皆様と、カーボン・ニュートラルの実現に向けた、活発な意見交換を行いました。
 SDGsを推進する本市も、千葉商科大学と連携を強め、環境にやさしいまちづくりを進めてまいります。

水防活動訓練に参加して

令和4年6月18日号

消防隊員や職員と一緒に汗を流しながらの訓練。きびきびした動きを頼もしく感じました。
 本番さながらの訓練に緊張感が走る中、本部の役割を確認しました。

職員の気持ちを1つに

令和4年6月4日号

第28代市川市長に就任いたしました田中甲です。
 就任早々の取り組みとして、登庁式の翌日から朝礼を行っています。
 特別職や部長職の朝礼を月曜日から金曜日まで毎朝8時25分から15分間行っています。別庁舎で勤務している職員は電子会議で参加しています。目的は安定した市川市政の運営を行うために部長を中心とした職員の気持ちを1つにするためのもので、「市民のために今日1日しっかりと仕事をしていきましょう」と確認をし
あいます。 また毎週金曜日(金曜日が祝日の場合は木曜日)は第2庁舎・行徳支所に出向き朝礼を行います。「継続は力なり」これからも目的意識を持って続けていきたいと思います。 タウンミーティングも7月から開始しますのでご意見をぜひ聞かせていただければと思います。
 これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。